吾亦紅(われもこう)。
家人が菜園で毎年ひょろりと咲く数本を「写真の素材にどうぞ」と持ち帰ってくれる。
何だか好きな花・・・。 孤独でいて、でも風に揺れて楽しそうで・・・。
空の巣症候群・・・、実に虚しい心境に苛まれる時代。
いろんな出来事がぎゅっと集中して起こり、身も心も空虚な中をさ迷っていた頃、デパートの催しの、自作の手芸品のブース一坪分を二週間お貸しします・・という「手芸祭り」のようなものに参加し、ひたすらエプロンやブラウス、ワンピースなどを手持ちの生地で作りまくって楽しんだものだ。
一年目は、二週間分の見積もりでたっぷり作品を作って販売に出したのに3日程であらかた売れ、あせあせあせ・・・!
で、棒のようになった足で帰宅後、夜中に翌日分の作品を必死になってミシンを踏んで一枚でも多く追加作品を作っていた思い出も。
この催しは、ブース(一坪程度の広さだけど)だけ貸していただき、その後は全部自分の責任ということで、生まれて初めてお店の飾りつけや並べ方を考えて人様に売ることを経験した。
朝から終了の時間まで立ったままで接待することが、どんなにつらい事かを知った。
ぱんぱんに浮腫んだ足で靴がきゅうきゅうになり、二週間続けられるのかしら・・・と心配したことだった。
でも良くしたもので、だんだんに慣れてきて、二週間が終わるころにはちゃんと普通に終了時間まで立っていられる位に一人前の「店員さん」になっていた。
それまでは、店員さんが立ってお客さんと接待している様子を何の不思議もなく見ていたが、これ程凄いことなのだと、自分が経験してみて初めて知り、尊敬の目で見るようになっていた。
下の「シャツ衿」の記事は、その時に味わったほろ苦くも勉強になった一コマ。
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その年一回の「洋裁祭り」は2~3年は参加したが、いろんな経験をして勉強になった時間だった。
自分の服は、オーバーから全てを自分で縫って着ていた私を見ていたお友達から、「私にも縫って頂けるかしら・・・?」というお話がいろいろ出てきて、最初は「人様の物を縫うなんて・・・!」ととても躊躇があったけれど、小サイズの服が手に入らなくて・・・と懇願する親友の服を手始めに縫って差し上げることに・・・。
今までは、義母・義妹・義弟嫁・私の母達・・・と、ただただ作るのが楽しくて、生地なども殆どこちら持ちという感じで、喜んでもらうことだけが目的でせっせとミシンを踏んでいたのでした。
だから、「ペイ」が伴う「仕事」をする等とは考えもしなかった事でした。
当時、友達に作って差し上げた洋服を皆で着て、「歌舞伎座」や、皇居の「雅楽」を見に行く」等の楽しい思い出が沢山出来ました。
その一つ、歌舞伎座前での「MEMEお洋服」の三人衆の写真を一枚・・・!
今はもう、旅だった方も含めて本当にうれしく幸せな時間を過ごせることになる切っ掛けを作ってもらいました。
感謝しかありません。
右(私)の服は、薄茶の無地の生地に例のペイントで描いたものです。
やっぱり「描く」ことが最初から好きだったのですね!
まだ「デッサン教室」に通うずっと前のころです。