アメリカ・ワシントンで1月21日、ジョー・バイデン氏の大統領就任式が開かれた。
さぁ・・・、コロナ禍中のアメリカの行方はどうなるのでしょうか・・・?
そして、日本への影響は・・・?
ドレスのファイルを見ていたら、このドレスは掲載しそびれていた。
中学から高校生になられる頃にコンクール用にお作りしたものだった。
確か、一位・・?
同じ方のドレスで、グリーンもお作りした。
どちらも、タイシルクでお作りしたもの。
今、別の同じようなお歳頃のお嬢さんのドレスも、3月のリサイタルを控えてお作りしているのだけれど、中学生は、体型的に幼過ぎても困るし、おとなっぽ過ぎても不自然・・・、伸び盛りというせいもあって、サイズもなかなかバシッと決まらない。
でも、そろそろ馬力を付けて頑張らなくては・・・!
今作っているドレスは、「ペパーミントグリーン」と「コーラルピンク」の二着。
ガンバロウ!!
退屈凌ぎに昔の「車中ウォッチング」を読んでいたら、結構笑えた!
★ まだまだ沢山の記事を「纏め中」・・・。
★ 「Puboo」電子書籍にお世話になって、「MEMEの車中ウォッチング」、「よろずウォッチング」など、書籍を何冊か出版したのですが、「Puboo」が編成替え等の都合があって、今までとちょっと変わった感じになり、どうしようか迷っているところです。
先ほど書いた記事が「間違い」だったことを発見!
まぁ、なんとしたことでしょう・・・。
でも、何故勘違いをしたかということを上の「リンク」の文をお読みになると分かって下さると思います。
つまり・・・、この「華紺」のドレスの場合は、「結婚式に出れないおばあさまに見て頂きたくて・・・、作ってください」とのご依頼だったのです。
前のお方は「おじいさま」・・・、今度のドレスは「おばあさま」・・・、私もその方々と同じような年齢になり、心にずっしりと感じるものが有るのです。
混同してしまって本当にごめんなさい・・・!
そんな共通点から勘違いしてしまったようです。
大変失礼なことをしましたが、どうぞお許しくださいませね。
ドレスは、間違いなくお役にたったようですので・・・。
記事は失礼ながらそのままにしておきますね。
すみません!! (*ノωノ)
いつもお書き込み頂く「aikawa」さまの「その後どうしていらっしゃるのでしょうね・・・」の一言で、「そういえば・・・!」と思いだしたことがあります!
違っていたら大変失礼になりますが、このドレスを思いだしました。
私の記憶が正しければ、その後、結婚式に着用のドレスを・・・とお話があり、お作りした事を思いだしました。
結婚式に着用後は、コンサートでも着用したいので、胸あてから上を取り外せるようにしておきましょう・・・!とアイディアを提案したことも思いだしました!
思えば、「ただただドレスを縫うのが好き!」だけで、専門学校に通ったこともない私が、自己流にデザインをし、曲に合わせて色を考え、日暮里繊維問屋街を走り回り、皆様の大事な大事な舞台を飾らせて頂いたことは、何という強心臓だったのだろうと今思うと身がすくむ思い。
でもそれ以上に、何て幸せな日々を楽しませて頂いたのだろう・・と、感謝しかない。
みなさま! ありがとうございました!!!
・・・と、今さらながらお礼を申します~~~~~~! m(__)m
二階の息子一家が恒例の「成田山詣り」に出かけて、家人と私に「お札」を求めてきてくれた!
我が家は、我孫子に越してきて以来の45年程、毎年元旦か二日目に一家で成田山にお詣りに行くのが恒例となっている。
今年は「新型コロナウィルス」蔓延により、成田山も『ソーシャルディスタンス』を万全の構えで参拝を可能にしていたそうだけれど、我々老人は家で留守番。
この絵は、たった一度だけ「パパ・ママ」が風邪で参拝に行けなかった年(26年前)に、3歳の孫息子が「一家代表」としておじいちゃん達と三人で参拝に行った時のけなげな姿を思い出して描いてみた。
写真がある筈だけれど、見つけられないので頭に残ったイメージで。(^O^)/
真剣に手を合わせて何かを祈っている姿は、本当に可愛く、真っ赤なほっぺに気高ささえ感じられたものだ!(^O^)
こんなに小さくても、パパ・ママの「名代」を意識しているのだと思うと、抱きしめたくなるほど可愛かった。
この坊や=「間もなく30歳にもならんとしている孫息子」は、一昨年に結婚し、しっかりと自分達の新しい習慣を築いている・・・。
今年はコロナの事もあったが、これからはそれぞれの新しい年の迎え方をすることになるのでしょうね・・・。
イレギュラーな「成田山参拝」も、二階の息子一家のお蔭で無事終わった。
有り難いことだ。
成田山への参拝は、我孫子に家を建てた頃から始めた習慣で、その前の金町に居たころは、毎年「柴又の帝釈天」に出かけたものだった。
ちなみに、「帝釈天」のご住職さまは、通われた高校では家人と同期正だったそうで、何かうれしい存在だった。 (^_-)-☆