こんな年末の忙しい最中に書く事でもないけれど、ふと、テレビに写った女優さんの襟元を見ていて唐突に思いだした「45年」程前のあるシーンを書いてみましょう・・・。
昔から洋裁が好きで、独身時代は通勤着も自分で縫って自作自演を楽しんでいた私。
中学・高校時代に家庭科授業で基本的な事を教わっただけだったけれど、兎に角生地が好きだったので、日曜日といえば母のミシンを借りてせっせと自分のものを縫いながら細かいことを習得していった。自己流で・・・。
で・・・、自分のジャケットやオーバーまで何でも縫えるようになった経歴から、嫁いでからは、義母・義妹・弟嫁さん達まで手を広げて練習台になって頂いた。
勿論、我が子二人の兄弟の服は殆どお揃いを作り、悦に入っていた母親時代。
そんな洋裁のわくわく時代に陰りが射してきたのは、息子達が中学生になったり、義妹は結婚して遠くに行き、義母も逝って・・・、と、私の服を必要としてくれる人が居なくなってしまった・・・、あの頃のこと。
あるデパートの催し行事で「手作り祭り」でスペースを貸してくれるという事があり、三回ほど参加して楽しんだことが有った。
そこでは自分のお店の責任は自分にあり、「にわか売り子さん」で二週間通ったものだ。
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さて、やっとこの「シャツ襟」の本題に入れる・・・! ふぅ (*ノωノ)
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そこに出品する為に、シャツや、エプロン、ワンピースなど、いろいろ作り貯めるのだけれど、楽しくて楽しくて、日暮里で買った端切れなどでせっせと製品を作ってその日を迎えたものだった。
足が棒のようになる売り場での立ち仕事や、慣れない接客なども初めての事なのに、全然苦にならなかったのも若さと「洋裁」への情熱だったのかも・・・。
そんな経験を三年は出店した記憶があるのだが、その中のある日の「あるシーン」が、「フラッシュバック」のように思いだされたのだ。
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出店した私のブースはあっという間に品切れ状態になり、嬉しい悲鳴を上げる結果になり、デパートから帰宅した後、疲れた身体を鞭打って大急ぎでエプロンなどを補充して乗り切ったものだった。
そんな終盤を迎えようとしていたある日・・・。
一人の同年齢程のご婦人が、つつ・・と近づいて来て、ワイシャツを手に取って私の前に差し出した・・・。
そして襟を指さしておっしゃった・・・。
「あなた、下手ね。 ここがすっきり出来ていないわよ」
私自身も、その部分の「もたもた感」は自覚していた。
「あ、そこはいつも上手くすっきり出来なくて苦労しているんですよね・・・」
と私。
「私は上手く出来ますよ! もっと工夫してご覧なさい、少なくともお店に出すのだったら」
「洋裁関係のお仕事をしていらっしゃるのですか?」
「私は十何年洋裁の仕事をしてきました。だからこういう仕事が気になるのです」
「すみません・・・、この重なった縫い代の処理はどうすればいいのでしょうか・・・?よかったら教えてください・・・」
「私は知っていますが、そういうことは自分で研究なさい!」
すい!とブースの前を風のように通り過ぎて行った彼女。
その一瞬のつむじ風のような出来事は、時々「フラッシュバック」のように私に吹く。
今もうまく縫えない私・・・。