2013年1月に書いた「ことども」の記事。
この「聖護院蕪の皺」は、これから7年経った今の私を見ているよるようだ・・・。
太っていながらも、ちゃんと「しわしわ」が形成された皮膚。
私の母の手を思いだす「皺」だ。
7年前の記事 ↓
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我が家の菜園に置き去りになっていた「聖護院蕪」から、けなげな花が咲いた・・・と、先日のblogに書いた。
その「蕪」は、全身全霊の力を振り絞って小さな花を次々に咲かせ、自分の使命を使い果たす時が来た。
ふと、その蕪に刻まれた皺の美しさに目が行った。
何故か、私の母「けい」の手を思い出してしまった。
棺の中の母の「手」・・・。
この手で7人の子供のオムツを替え、みんなを大きく育て、喜びも悲しみもこの手で包み込んで生きてきて98年。
最後の母の手は、こんなに清く美しかった。
そして、人差し指が少し曲がってしまったこの指の履歴がいとおしく、何より、何より、私には大事な思い出になっている・・・。
そんな母の指にそっくりになって来た私の人差し指。
武骨な大きい私の手。
誰か、この手を懐かしく思ってくれる人があるだろうか・・・?
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この頃の急な老けように、完全に自信を無くした私。
昨日新潟の兄と1時間11分に渡って電話で話したら、少し元気が出てきたかな?
リタイヤしたとはいえ、長~い医者歴を持つ兄。
私の「骨密度 102歳」問題も、ちゃんと温かく受け止めてくれ、しかし、全然深刻にならないようにしっかりと話を聞いてくれた。
この話は、後日又書いてみたいことだが、結論として、胸に重く圧し掛かっていた「最悪の場合の 骨折後の寝たきり問題・・?」や、考えられるいろいろな暗黒の予想を、冗談で笑わせながらもほぐしてくれた。
いやいや、持つべきものは「あにじゃさま!」だ。
そして、その後ろでそっと見守ってくれている兄嫁さま!
有り難くてうれしくて、事態は前とちっとも変わっていないのに、安堵の心境に浸ることが出来た。
人間って、ちょっとしたことで凹んだり浮きあがったり・・・、医者って、長い経歴を経て、その辺の阿吽の呼吸を皺のように身に着けているのだろうか・・・?
偉いなぁ! (^O^)/
そういえば、兄も80過ぎのリタイアだったが、私達の祖父も、その先の曾祖父も、もっと言えば、そのまた先の「高祖父」 も自分の力尽きるまでは地域の方々の命を守って頑張っていたと聞いている。
そして、母の兄(叔父)も、そしてそして私達の尊敬する一番上の従兄弟もそれ以上の年齢まで患者に寄り添い・・・。 それを継ぐもう一人の従兄弟もそろそろ80近いのかな・・・?
そして、従兄の息子さんも、二人そろって後に続いてスタンバイとか。
みんな、そういう長いキャリアを積む中で、患者さんの心を温かくほぐしながら最善の方向に身を向けるように仕向ける方法を身に着けたのかも・・・。
皺って大事!
しわ、大好き!