新潟の、15年前に亡くなった母の冬のお散歩道らしい。
(今から58年前の新潟地震の際、新潟駅近くにあった我が家も少し被害があったことから、修繕後にそこを貸屋にして、より安全だと言われた海に近いところに新しい家を建てたのが、私が東京に嫁して数年後。
だから、私にとって実家とはいえ新しい環境での母達の生活は良く知らない。
私の実家は、生まれ育った駅の近くの家・・・とインプットされているので、新しい実家は「よその家・・・」感覚なのは困ったヒトだ。
母が毎日「絵」のヒントを見つけるために散歩に出て、これぞと思う場面に出会うと、両手の人差し指と親指を組み合わせて目の前で「四角形」を作り、キャンバスに見立てて収まり具合を定めているとは聞いていた。
同じ趣味もあってか、顔を紅潮して私にその散歩の様子を電話で話してくれる母は本当に「絵」の同志! ( *´艸`)
びっくりするのは、その風景をスケッチするわけでもなく頭に仕舞いこみ、帰宅すると直ぐにキャンバスを立てて描き出すという。
完全に「記憶」の中から風景を浮き上がらせて描いていたらしい。
散歩に出る時にクラッカーを袖に忍ばせて出かけ、電線に群がるすずめを見つけるとそっと落として歩くのだそう・・・。
そんな日々が続くと、母の散歩時間にすずめちゃんたちが何羽も後になり先になって一緒に付いてくるのですって!
そんな「新・実家」の周辺の絵が一杯残されていて、私は自分の個展の時にお借りしたこともあり、そのまま数枚頂戴したものだ。
我が家の居間にも数点掛かっているが、その中の一点は、遠く新潟から東京に嫁いだ私に・・・と特別に描いてくれたもので、いつもそれを見て胸がいっぱいになる。
遠く日本海が見え、新潟の花のチューリップも描いてあげるね・・・!」と、新潟てんこもり! の私だけに描いてくれた一枚!
その絵と一緒に忍ばせてあった母の短歌・・・! 泣きました・・・!
母の歌
「新潟の風雪に耐えて傾いた松の木だけれど、5月の風がいつかは香しい香りとともにやってくる」 一人で東京に嫁がせた母からの人生の「応援歌」だと思って、大事に大事に心に偲ばせている。
楽しいのは、「雪景色」などの絵の右下に、「K・H」とローマ字で署名しているところ! おばあちゃ~~ん! ( *´艸`)
毛筆も、大好き!
何でも自分一人で独学していく姿勢も私は好き。
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ある時、ほんの少しだけ絵画教室に行った事があったそうだ。
でも、その時の先生が、母が描き始めた緑深い「山」を「赤く描き直しなさい」とおっしゃったそうで、「私は赤で描きたくなかった・・・」と、一枚だけ描いてその会は止めてしまったそうだ。
多分、その時の「赤い山」の絵だと思われる一枚があって、それはそれで素敵じゃない~?!と言ってしまった私。
「赤石岳」
けいの部屋(70歳からの出発・油絵と短歌の世界・只今97歳の記録)
今は、所沢の妹のところにあるこの絵、母の心が読み取れて何だか悲しくもあり、嬉しくもある。
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さて・・・話変わって・・・本題。
昨年末あたりから、マイナンバーカードの登録申請が急がされているが、重い腰を揚げてやっと昨日市役所に出かけて行った。
結構いろいろあって面倒だったけれど、何とか手続きも済み、ほっとしたことだった。
ところで、何で急に亡き母のことを書いたかというと、実はその「マイナンバーカード」に印刷された自分の写真が、まぁまぁ・・・、本当に母にそっくりでびっくり!
だけど、近所の「写真ボックス?」で撮った時は気が付かなかったけれど、その一生携えなくてはいけないカードの写真の顔の「額」が、何故かピッカピカにハレーションを起こしていたのだ~~!
もう、本当にまぶしいくらいに光って、眉毛も無くなっているではないですか・・・!?
折角お化粧をして精一杯お澄ましして写真ボックスに立ち向かって撮った写真なのにぃ! (*_*;
ちょっと唖然としたけれど、ま、仕方ない!仕方ない!
「どうせ私は85歳でございますよ~~!だ」
と、「うらべくみこさん」張りに口を尖らせて呟いてみたが、誰も関心を持ってはくれないに決まっているのだから諦めます・・・。はい。
そんな今日の「母との出会い」気分。