今日は、義母の40回忌。
40年前の、まさに「地獄のような40日間の出来事」は前に書いたことがあったけれど、それももう夢の中のような気がしている昨今。
義父・義母・私の父・・・・と、12月〜1月の初めまでの約40日間に、元気だった三人が突然のように奇跡のように、逝ってしまったあの時・・・。
しかも、その間、義妹が1歳の子供を連れて出産の為に帰省中・・・というすさまじさ。
家中てんやわんやだったことは言うまでもなく、老いた叔父叔母が遠方より泊りがけでひっきりなしに我が家にお見舞いに訪れて下さる。
お気持ちは本当に有り難いことだったが、満足な御もてなしも出来なかったことに今も悔いが残る。
私たち一家も看病の為の「ミニ引っ越し」状態で実家に寝泊まりしていたので、着の身着のまま、家人の実家のどこに何があるかも知らないまま右往左往していた。
突然の大雪が降ったりのアクシデントもあったりした中、中学1年の息子は都内の学校まで1時間掛けての通学を、小学5年の次男も初めて経験する電車通学で1時間の道のりを逆走・・・。
お弁当も満足に作ってあげられない・・そんな可哀想な息子たちも、「辛抱・辛抱」と頑張ってくれた。
あの頃を追想すると、子供たちの心細さが今さらながら思いやられ、涙が出る。
義母を頼りに帰省している義妹の出産も不安もあり、義父の突然の入院の付き添いにシフトを組んで5人兄弟が毎日通い詰めた甲斐もなく一週間の入院の後、言葉を発する事もなく静かに逝った義父。
その後、腹水で膨れたお腹を抱えた義母と、出産の為に入院する義妹を両方に抱えて車で病院に向かう私の心細さたるや、極限状態だったなぁ。。と、今思い出す。
不思議なことに、その時点まで、義母が「ガン」に侵されていたとは思いもしない事だった。
一緒に住んでいなかったということも有るだろうが、直前に受けた区の検診では何事もなく、「太りすぎないように」と指摘されたので、食事制限を始めたのよ」と笑っていたのが不思議で仕方ない出来事。
何より、直前の11月末に、これも偶然神様の思し召しかと思えるような邂逅があり、突然、新潟から私の父母が上京してき、家人の実家にもお邪魔して、私たちの結婚式以来の御目文字をしたことの不思議な時間。
それこそ何年振り・・いや、もっと長いこと訪ねてくれなかった出不精な父母が、何を思ったか・・突然の上京で、私宅➡国分寺の姉宅➡所沢の妹宅・・と、娘達の幸せを確認するかのような旅を始めたのだった。
そんな不思議な時間と出来事の中、ついぞ疑うこともなかった義母の「ガン」・・・。
結局、私と家人の両親4人が揃って和やかなひと時を過ごした・・数日後に始まったこのまさかの惨劇。
その時撮った写真は、今でも見る気になれない。
大急ぎで作った母の洋服がとても似合っていて、浮き浮きと連れ立って出かけた家人の実家。
そこで撮った、両親4人が揃った「幸せ一家」の象徴のような写真。
数日後から始まった突然の病で、その4人の両親の内の3人が居なくなってしまうなんて・・。
本当に、本当に、まるで悪夢のような40日が始まったのが11月末のある日の電話。
義母の「早く来て! お父さんが倒れたの・・」の連絡から始まった悲劇のスパイラル。
義父が逝って38日後、あっという間に思いもよらない「胆管癌」で後を追った義母・・・・。
そんな1月9日。
その10日後に、3番目の驚愕が待っていようとはまだ知らなかった日・・・。
明日に続く。
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