MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

自己愛について

今日の朝日新聞の夕刊の、「小池龍之介・心を保つお稽古」の「自己愛から始まる思いやり」を読んで、痛く共感したことだった。

「私は全世界を隅々まで探し回った。【自分よりも より愛しいものがみつかるだろうか】と。 そして、自分より愛しいものは、ついに見いだせなかった」 (自説経)

・・・これは、釈迦の言葉だそうです。

何とも深い言葉だと思う。
私自身、かっては「我が子への愛は、私はこの世で一番強い!」と思って育児をしてきたと思うし、子供に何かあれば身を挺して守るだろうし、危機が襲ってきたなら私の身を捧げても守るだろう・・と信じてきた。

でも、こうして、お釈迦様でも「自己愛」を認めていらっしゃる言葉を残しているということを読んで、つらつら考えるに・・・?

・・・・・・・・・・

う〜ん、やっぱり私もお釈迦様と同じく(ずうずうしく言えば)やっぱり自分が一番可愛いのかもしれないと思えることが次から次へと思いだされる。

物心付くころから、私は自分があまり好きではなかった。
内向的なところとか、隅が好きとか、どうも明るく開放的な処が無いのが嫌だった。
もっと、天真爛漫に明るく振る舞ったり、笑顔で眩しいような人に憧れたものだった。

でも、これは多分生まれつきの性格と言うものだろうけれど、長じてからはそのような内向きな性格を解放することに努力し、どうやら私と接する方々から「MEMEさんは常に明るくて面白いわね・・・」というお言葉さえ頂くようになった。

やほ!  

とはいえ、根本的にはやっぱり「内向的」なヒトには変わりが無いような気がするが、「自分が嫌い」!!という激しい感情からは少し離れられたかもしれない。
そういう意味でも私も「お釈迦様」のおっしゃる「自己愛」があるのだろう。
自分が嫌い!と思っても、この肉体に宿った「心」つまり「自尊心」は何としても捨てられないらしい。


このように、世の1億何千万の人々全員が「自己愛」「自尊心」をしっかりと持って生きているのだと思うと、そのバリアを犯す事は絶対に避けなければと思う。
もしかして、気が付かないままに相手の自尊心を傷つけるような事をしているかも・・と思うと、よくよく心しなければ・・。



我が子達に対して、自分では「この世の菩薩」だ(だった・・・過去)と思っていたが、その子供達も「オヤジ」の域に達し、それぞれの家庭を守るのに必死で、其々の子供たち(孫)の「菩薩」になったような決意で日々生きているのだろう。


自己愛・・・、これがあるからこそ、人間の永遠の営みが続いているのだと思う。


ふと思う・・・。
今回の東日本大震災の時のように、予期せぬ時に津波が襲ってきたら、自分はどんな行動をするだろうか・・・?

考えるだけでも恐ろしい・・・。
きっと、我先に逃げるだろうなぁ・・・。信じられない事だけれど・・・。

「自分が嫌い」などと言ってた自分でさえ・・・。



自己愛・・・、不思議な存在。
だけど、凄い存在。





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