MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

人間ウォッチング 自分編 (16年前の思考)

     ☆・・・ 今の幸せ


昨日は朝から頭痛に悩まされた。

でも、今日は大丈夫!
どんよりしたぐづつき模様を引きずっていたお天気も、先ほどから陽も差してきたようだ・・・。

朝から溜まったお洗濯物を干し終えて、さあ、今日は昨日の分も取り戻すぞ!

頭痛中は「何で私は頭痛持ちなんだろう!あぁ・・なんて不幸なお・ん・な!」
とかこちながら、うだうだと気だけ昂ぶった一日を過ごす。

でも、昨日の頭痛から解放された「普通」の今日を過ごせるうれしさを実感出来るのも、昨日の苦しさを経験したからだわ・・!とも思える。

何でもそう考えると、「必要無いもの、必要無い経験、必要ないことども」って、
そうあるものではないと、この頃つくづく思う。

苦しい事をクリアした後には、必ず何か「得る」ものがあることに気付く。

振り返って見た時、「あ、あの時の苦しさは、今日のこの事につながっているんだぁ〜!」という事を、何度も経験した。

あのことが無かったら、いまの心の「落ち着き先」を見つけられなかったかもしれないな!と。

例えばMEMEの容姿。

若い時には、人並みに美しい顔に憧れて、「どうせ私なんか・・・」とひねくれる寸前だった。

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・ 小さくて細い目!
・ 大きくて厚い鼻!
・ 大きくて厚い口!
・ アゴに「庶民」を象徴するような張り!
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どれをとっても、全部「反対」にすると「美人顔」。

「小さい」を「大きい」、「大きい」を「小さい」にしてみると、見事麗人に・・・。


でも、そんな私だって、人並みに温かい家庭を築き、愛する家族に囲まれ、毎日感謝で過ごせるのも、「人は人、私は私」として、比較をやめたところに心の幸せが訪れたのではないかと思う。

こんなに見事に、<麗人>の反対を風切って進んでいるMEMEでも、
愛してくれる「奇特」な主人がちゃぁ〜んとこの世に存在してくれたうれしさ。

ものは考えよう!


★ 「小さい目!」は、ごみが入らないように特別神様がおとりはからってくださっ   た・・・。

★ 「大きな厚い鼻!」は、空気を一杯授けてくださる為に。(でも、「厚く」なく   てもよいのでは・・・。神様!)

★ 「大きな厚い口!」は、おいしいものを一杯頂けるように!・・・(厚さはなん   で?)

★ 「張ったあご!」は、なんでも噛めるように・・・。


ね!


こんな風に考えれば、大丈夫!

心ですよ!こ・こ・ろ!

いまさらお嫁に行く訳じゃなし(君、幾つだと思っているの?・・はい、62歳)
「人としての幸せ」は、容貌には関係ないのだと知ったのは、大分後になってしまったが・・・。

「比較」することを止めた時、心の幸せがやってくる・・・。

美人だったら、もっと素敵な彼と出会えたかも・・・!などとは
決して考えない。(ん?)


なぁんて大きな事を言っている裏で、「気象庁」を恨んでいる私。

なんでって?。

「昨日のお天気、外れたじゃない!
<気圧の谷が通過する>事を予知してなかったから、私、頭痛の原因が
分らなかったじゃない!」

だから、苦しみが二倍!二倍!だったじゃない! ぐちぐちぐち・・・。

気圧に弱いMEMEの愚痴でした。





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