実を言うと、私は「歳を取る」ことにあまり焦燥感や違和感が無い。
むしろ、越し方に感謝・・という気持ちが強い。
何か、人生を悟ったような、偉そうなことを言っているようだけど、ちょっと違う。
私の人生を振り返った時、「自分でやれそうなことはやってきたよ」という日々だったように思う。
有り難いことに、家族に恵まれたことや、時間を自由に使えた事や・・・で、周辺に甘えながらだったかも知れないが毎日を目いっぱいに生きてきたと思う。
若い時は、自分がやりたいことは何だろう・・・との模索から、いろんなおけいこ事に手を伸ばしてみたことがあった。
「お琴」「書道」「お花」「お茶」・・・、そして残ったのがおけいこ事とは全然関係がない、【洋裁】と【絵】と【HP素材作成と提供】という事が私の【三種の神器】になったのも面白い現象。
人生後半から「これさえしていたら幸せ!!!」というものを見つけられたことが私の一番の宝だと思う。
それだって、家族達の思いやりや、そういう時間を繰りだせた環境などで実現出来た事。
本当に有り難いことだと感謝しかない。
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思えば、新潟駅の近くで生を頂いたのが昭和13年。
7人姉兄での5番目、女の子としては4女としてが出発点。
そうした中、私が三歳の時、妹が母のお腹で臨月を迎えたある日の事件で我が家の方向が一時軸を失ったように揺らいだ。
父が倒れたのだ・・・!
代々続く医家の娘として育った母・・・、一瞬にして6人の子供(後にもう一人生まれる・・)を抱えて夫の看病(脳梗塞?)に明け暮れする日々を送ることになった母。
私には、父の「普通」の姿の記憶がない。
右半身不随の覚束ない身体で頑張っている父が私の中の父。
それを、全然違和感なく大人になった。
引き摺る足の音、特別重い茶碗を動かないようにテーブルに置いて左手で食事する姿、
右半身不随に起こる「言葉の重さ」など、病気から来る症状を何の不思議とも感じずに大人になった・・・。
何故なら、それは父が一言も「愚痴」を言わなかったから。
効き手を「右から左」へ素早く切り替える努力をしたため、字は私達よりずっと上手かったし、何よりも常に明るかった。
そんな父を、障碍者だなどとは全然思わずに大きくなり、「あれ?もしかして、スマートでない身のこなしや会話が重いのは、病気のせいだったのかな・・・?」などと気がついたのは何と!私が結婚してからだった。
ここまで生きてきて、私が一番尊敬するのは「父母」!!! と、なんの躊躇もなく言えるのは、そんな背景から・・・。
どんなに大変であっただろうに、暗さが全然ない家庭で子供を育ててくれた事に、心から感謝する。
父は77歳まで現役で仕事を続け、家の大好きな庭の鯉を眺めながら突然逝った。
母はまだ70歳だった。
それからは、医者である兄夫婦に見守られながら「油絵」の独学を始め、「俳句」とともに豊かな趣味の時間をいっぱい堪能して98歳まで生きた。
http://www.ream.ais.ne.jp/~meme/kei/koi.htm
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庭の鯉
縁日で 亡夫(つま)ともとめし錦鯉
戸を繰る度に口あきてまつ |
蓮の葉の 水玉揺らす 池の鯉 |
父は鯉が大好きでした。
私が生まれ育った前の実家でも、縁の下まである池にはいつも沢山の鯉が泳いでいました。
新しい家に引っ越した時も工夫を凝らした池を作り、毎日覗いて餌をやったり楽しんでおりました。
その庭の池の傍に佇み、大好きな鯉を眺めている至福の時に倒れて、
そのまま帰らぬ人になったのです。 77歳でした。
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兄夫婦の、真似が出来ない程の献身と心使いで最後まで幸せな日々を過ごした母。
★ http://www.ream.ais.ne.jp/~meme/kei/index3_.htm
(姉の夫が資料を纏めて小冊子を作り、それを元にMEMEがHPにしてUPしたもの)
★ 特記すべきこと!! ↓
我が兄弟姉妹、総勢7名!! 長姉「96歳」を始めとして、以下「75歳」の弟まで、全員今も元気で生きていることの素晴らしさ!
その一員としてここに居る私!!
これほど嬉しい事があるでしょうか・・・?!!
82年前の昼過ぎ、何と、4kg(・・ということにしておこう・・という母の含み笑いから想像すると、もっと!!?)の巨大児として生を授かった私。
お正月にお餅やご馳走を一杯食べてからこの世に生まれたから・・・という伝説になっている今の「ドスこい」MEMEの逸話。 ( *´艸`)
私の人生は、いろいろあったけれど全てが「意味がある」事だったと思う。
全ての事に感謝!!
などと・・・。
何やら、思いが走ってしまって書き連ねたが、読み返すのが怖いぞ・・・。
( *´艸`)