13年間続けた【陶芸教室】を卒業した家人の、最後の作品がこの「籠編の器」。
お節を載せるのに丁度良いわ!と・・・。
(真ん中のピンクの梅の小鉢は違います。丁度有ったので黒豆を入れる器にしました)
塗りのお重はあるにはあるけけれど、もう、何十年も仕舞ったまま。
後のお手入れが大変なので、全部箱の中・・・。 ( *´艸`)
盛り付けた感じはこんな感じ。
二人だけだから、ちんまりと・・・。
上の取皿も、お揃いで作ってくれた。
これで陶芸作品も終わりだと思うと、何だか少し寂しい。
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ところで、毎年使っている【はらん】を今年も黒い器に敷いた。
この「はらん」、元を辿ると約68年前に家人が彦根の祖父母宅を訪ねた際に、庭に生えていたものを一株東京の家に貰ってきたものだそうだ。
それを東京金町の家の庭に植え、その後、結婚して建てた我が家の庭に金町から一株移植し、それから今の場所で二世代住宅を建てた時に一株植えた物。
何と、私達の移動に添って転々と一緒に生きてきた可愛い子。
彦根の祖父母達が住んでいた勘定人町の家は、何と!300年も経っているものだったそうで、九州への新婚旅行の帰りに挨拶方々立ち寄らせて頂いたものだった。
玄関の前の塀が時代劇に出てくるような作りになっていて、細い屋根のようなものが載っていたのが珍しかったのを思いだす。
家の中は、本当に時代劇のように「土間」があったり、蔵があったり、廊下が庭を取り巻くようになっていたり、トイレが廊下の一番端にあったり・・と、興味津々で一泊させて頂いたものだった。
その、庭にある【蔵】の中で、家人一家は疎開させて貰って過ごしていたとか・・・。
そこも、間もなく新しい家屋に建て替えられたそうで、何だか惜しい。
そこの疎開時代の思い出の庭に生える【はらん】を一株、就職のご報告に伺った際に東京に持ち帰ったものだそうだ。
脈々と「彦根」「東京金町」「我孫子」「今住む我孫子」と繋がって生きて繋がってくれた可愛い「はらんちゃん」を、毎年お正月のお節の敷きものにしている。
こうして、自分たち世代に繋がる昔の思い出があることに感謝する・・熟年世代の私。