MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

面白い発見・・・

この度、秋篠宮が「皇位継承順位第1位の 皇嗣 」になられる式典をテレビで拝見していて、ふと、面白い事を発見した。

 

天皇皇嗣 並びに、男子の従者たちが打ち揃って「烏帽子」を頭に着用して登場するのであるが、その後ろに垂れている 「糸へんに嬰」と書く部位の其々の位置関係が面白かった。

 

 

 

(kariginu.jp)

 

 

垂纓すいえい

平安時代は庶民でさえも頭に何もかぶらないことを恥とする文化でした。そのため宮中においても冠は非常に重要なアイテムでした。聖徳太子の時代には冠も身分に応じて色をつけていたようですが、平安時代は黒に定まったようです。冠の素材は和紙で何重にも張り重ね、表面に羅(ら=薄い絹の布)を張りうるしを塗ったいわば「はりぼて」ですが軽くて強度のあるものでした。纓(えい)は当時は鯨のヒゲを使ったそうです。
おひな様というと下の写真のように纓がまっすぐ上に伸びた立纓が一般的ですが、実は立纓は天皇のみがそれも儀式においてのみ用いるきわめて特殊なものなのです。高位の貴族はみな上の写真のような纓が後ろに垂れ下がる垂纓の冠をつけていました。垂纓の冠を着けた人が急に振り返ると隣の人の顔に纓が当たりますから動きもゆったりとしていたんでしょうね。平安時代の雅びが偲ばれるこの「垂纓冠」を現代のひな人形に再現いたしました。
巾子の上部がぐっと前方に傾斜し、纓の下がる角度に見事に似合っています。さらに磯(冠の前部を磯、後部を海と呼びます)が高くなっているところ(磯高=いそだか)も冠をかぶるお顔がお公家さんのようにやさしい表情にしているのでしょう。
そして、纓が2枚重ねなのはそのルーツである頭巾の結び目から出る2つの布が発達したものだからです。冠自体は笄をマゲに挿し貫いて固定する正式なものですから当然掛け緒(あごで結ぶ房ひも)はありません。

    

    岐阜県美濃加茂市 人形処橋本屋

 

    

 
wikipediaによると、このような形態の冠をお召しになるとあったが、この度の「皇嗣」の式典の天皇の冠はもう少し下向けに角度がついていたので、上の画像の「天」を向いた角度の冠烏帽子は違う場面でお召しになるものかもしれない。
 
そして、新しく「皇嗣」になられた方の烏帽子の角度が、微妙に下向きに控えた感じになってい、皇族のお付きの方々の着用される烏帽子が、またまた一段下向きになっている・・という、三段構えになっているのがとても面白い発見だった。
 
 
 

 

 

 

参考  ウィキペディア