MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

立川談志さん死去


新聞やテレビで立川談志さんが亡くなったことを報じている。


今まで落語にあまり興味が無かったが、一人の天才(?)が逝ったこことを大きく報じているマスコミが「この先もうこういう人は出ないでしょう、惜しい人を亡くしました」と口々に悼む姿に目がいった。


奇行ともいえる常日頃の振る舞いを見聞きするにつけ、私を含む多くの方々がちょっと理解できない「人格」に思えていた彼が、逝去すると、一夜にして「素晴らしい人」に変貌してしまうマスコミの取り上げ方にはちょっと違和感を覚えた・・・。



とはいえ、可愛いく潤んだ「眼差し」や、闘病を思わせる首の感じ・・などをテレビで拝見すると、彼なりに人知れず頑張って生を全うしたのだと納得した。


喉頭がんを患ってなお、「声」を失いたくないと手術を拒んだとか。



そこで思い出したのが、今から19年前の「がんセンター」入院時のこと。


手術の後、退院までの一週間程は、毎日処置室に出かけて術後の処理をして貰っていた。
そこで、順番が来るまでの待ち時間は患者同士で話をして過ごしたのだが、何気なく隣に座って静かにうつむいていた中年の紳士に話しかけた私。
普段は私の方から積極的に話しかけることなどなかったが、何か沈んでいらっしゃるご様子に思わず声を掛けたのが本音。

その方が、返事をする代わりに焦ったそぶりで目を白黒していらっしゃるのを察知して、そばにいた方が小さな声でぽつりとおっしゃった言葉「喉頭がんの手術をして声が出ないんですよ・・・」



私ったら!!!
本当に申し訳ないことをしたと気が付いたが、後の祭り・・・。



そういう私も、その手術で声が出なくなる可能性があるので「筆談」の用意をして入院するように、との約束だったのだ。
それなのに、術後に発声が出来た私はなんという幸運。
そういう私であるにも関わらず、難関を突破したとなるとこういう思いやりに欠けたことをやってしまうなんて・・と、自己嫌悪に陥ったことを思い出す。



私は今も三か月に一回はその病院の「頭頚科」に通う身。
(術後、良性の腫瘍だったことが判明したが、ホルモン剤が欠かせないので通っている)



19年前のその紳士はお元気でしょうか・・・。
その節は、本当にごめんなさい。