MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

洗濯機の思い出


(数年前に頂戴した○○(う、花の名前を忘れた・・)が出窓で競うように咲いています)





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今、「世界ふしぎ発見」を見ていたら、日立のコマーシャルで「出始めの頃の洗濯機」らしきものがチラリと映った。
その一秒ほどのシーンを見て、急に4年前に亡くなった母と洗濯機の思い出が頭に浮かんだ。



もう、それこそ何十年も前の事(あれは?いつ頃だったのだろう、あまりにも昔なのでついと計算出来ない位前)、父が東京の出張から帰り、私たちにお土産を渡してくれた後に「にんまり」としたいたずらっ子のような顔で手品師のように一枚の紙切れを取り出した。
それを母に渡しながら「はい、これはお母さんへのお土産」と・・・。
母は狐につままれたような顔をして受け取り、そろりと広げた。
「えっ・・・、洗濯機・・・?」
父は得意そうな顔で言った。
「数日後に届くように手配してきた」



洗濯機など、名前は知っているが見たこともない程の文明の利器!!  だった時代。



そこにいた私たち兄妹の歓声が上がったのは言うまでもない・・・。



子供7人を含めて、9人分の洗濯を手でごしごしやってきた母の手。
覚えてはいないが、多分アカギレで荒れていたことと思う。



そんな妻に、こんな格好で洗濯機をプレゼントした父の優しさを思う。
病気の後遺症(右半身不随)もあり、口が重い父の姿からは想像も出来ないエスプリの効いた突然のプレゼント。

http://retoto.cool.ne.jp/kei/index.htm (「けいの部屋」参照)
http://retoto.cool.ne.jp/kei/index3_.htm


確か、こたつが有って、皆で集まっていた時だったと記憶している。
温かい電燈のオレンジ色の光の下、その時の座っている母の位置や、父の位置、私の位置まで鮮やかに思い出せるのは、余程衝撃的なシーンだったのだと思う。

新潟の冬はお洗濯も乾かず、苦労しているのを黙って見ていて一大決心したのかな・・・と。
洗濯機が出始めた最初の頃のこと、つましく暮らす我が家の「星」のような存在だった「洗濯機」。




洗濯機・・・というと思い出す、父と母の物語。