窓からおじいちゃんを見ているルリちゃん。早く遊んでよぉ〜・おじいちゃんの追っかけルリ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・今日は、前から計画していた映画「最後の早慶戦」を見にいく。
期待に違わず、本当に素晴らしい映画だった!
選手のみんなが息子・孫の姿に重なり、最初から涙・涙だった。
学徒動員の日が迫り、心乱れる若者達の姿がいじらしい。
最後の早慶戦を実現する為に奔走する早稲田の部長やマネージャー、地方訛りが行き交うむさくるしい部室・・。部屋のしつらえ全てに当時の面影を映し出されている。
塾長の小泉さんを演じた石坂浩二、早稲田の部長を演じた柄本明、早稲田の総長を演じた藤田まこと。 みんな素晴らしかった。
ーーーーーーーーー
今丁度、NHKテレビの「その時・歴史が動いた」で戦争終結時のことを取り上げているのが聞こえてきた。
気になるのでちょっとテレビ前に移動するので ここはちょっとタンマ。
「最後の早慶戦」でも、そのことが一番重いテーマだったように感じるので、しっかりと書きたいと思っていた。
ーーーーーーーーー
今NHKを見終わった。
まさに私がここに書いておきたいと思った事柄を取り上げていたのに「共時性」を感じる。
「一億総懺悔」・・・・、なんという言葉だろう。
今まではそれ程重く感じていなかったこの言葉の裏を思う時、悔しさが胸を突く。
「天皇・軍部」の戦争責任を、国民全員に転嫁した言葉だったとは・・・!
卑怯なその言葉を、若く美しいままで散ったこの学徒動員生やその家族は許せるだろうか。
いや、学徒動員で散った人たちだけではない。
家族を残し、心引き千切れる思いで戦地に赴いた日本の男達。
その人たちを囲む全ての人の心に重い十字架を負わせた上、「自己懺悔しろ!」とは、何という言い草!
今、NHKの「歴史・その時」を見て、尚更に「最後の早慶戦」が胸を打つ。
責任を国民に「転嫁」して口をぬぐって生き延びている奴らに、煮えたぎるほど怒りを感じる。
昨日書いた「御成婚パレード」の記事のすぐ翌日このようなことを書くのも何かの縁か・・。
ーーーーーーーーーー
・話を「最後の早慶戦」に戻そう。
何十年か前に勝ち取った「完全優勝」の印、ユニフォームのソックスの白線がまだ一本なのも楽しい。
その何十年後、我が息子の代にもう一本白線が加えられ、今は二本の白線のソックスで孫がグランドを駆けている・・・、何とも言えないつながりを感じる。
それに、我が次男も中学から早実で野球をやっていたことを考えると、「早慶戦」に胸躍らせるおばあさんのはしゃぎ振りも勘弁して貰おう・・・。
次男の早実中入学式の日、大隈講堂で見た「早慶」のエールの交換は忘れられない。
シーンと静まり返った講堂の真ん中の道と、左の道に現れた「校旗」!
二階の席に居た私の目の下を、しずしずと舞台へ進む「ブルー・レッド・&・ブルー」の慶応の校旗と、左からしずしずと音も無く進む「稲穂」のエンジ色の校旗。
胸が高鳴ったのを今も覚えている。
舞台の上で繰り広げられる若さ爆発の「エールの交換」の美しい光景も・・・。
これほど「校旗」が美しいと感じたことはなかった。
身じろぎもせずに校旗を捧げ持つ応援団。 カッコイイ!!!
単純な私、「息子の一人は【応援指導部】に入ってくれないかなぁ・・・」と本気で思ったものだ。勿論一笑に付されてしまったけれど! (^_-)-☆
早慶戦では、息子二人(二人とも中学から在学)が「早」と「慶」に席を違えて神宮を過ごした。
残念ながら次男は途中でリタイヤしてしまったし、勿論「応援指導部」にも属さなかったが、その一時期三年間の神宮を一緒に楽しめたのも、息子達のお陰・・と感謝している。
さて、次は孫の番・・・。
大学でも野球部を続けてくれるかな・・?
とはいえ、まず、春の甲子園を目指して、13日の相手「東海大相模」という強豪に勝つことが目の前の責務。
我が家を彩る、ばっちい男タチ!
どんなに泥だらけになろうとも、好きな事に極限まで打ち込む姿は美しいよ!
君達を戦場には絶対に出さないぞ! 心乱れて、今夜は眠れるだろうか・・・。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
追記
■ もう一つ、どうしても書いておきたい事がある。
この「最後の早慶戦」のラスト、やっとこぎつけた試合の後、早・慶、お互いの校歌を歌ってエールの交換をする場面があって滂沱の涙だったのだが、いろいろ資料を調べてみたら、「校歌」ではなく、「海行かば」という軍歌を全員で斉唱した・・・というのが本当らしい。
多くの人が集まる場所ではこれを歌うことが義務付けられていたという。
その歌詞を思う時、またまた怒りが込上げてきた。
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/band/midi/JASRAC/umiyukaba.html
作詞:大伴 家持
作曲:信時 潔
著作権:消滅(詞)、有(曲)
・海行かば
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の
辺(へ)にこそ死なめ
かえりみはせじ
・昭和十二年一月
大阪中央放送局
★ ……昭和12年11月政府は「国民精神強調週間」を設定し、この行事週間のテーマ曲として大伴家持の詠んだ「海ゆかば」に曲をつけるよう作曲者に依頼した。こうして「海ゆかば」は大阪中央放送局(JOBK)が製作していた「国民歌謡」の一つとして発表され、『力強く堂々と歌う』よう指定がされている。昭和18年12月には会合の際に必ずこの曲を歌うように命令が下った。
しかし、太平洋戦争末期の大本営発表で玉砕を報道する際の曲に使用されたため、今日に至るまで悲壮感溢れる曲として印象付けられている
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
wiki等の参考資料 ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%A1%8C%E3%81%8B%E3%81%B0
http://gunka.nanode.ojaru.jp/umyk.html
・・・・・・・・・・・・・・・・
海をゆくなら
水に漬かる屍ともならう
山をゆくなら
草の生える屍ともならう
天皇のおそばに
この命を投げ出して
悔ひはないのだ
けつして
ふりかへることはないだらう
・・・・・・・・・・・・・・・・
上の訳を見て、もう、胸が張裂けそう。
この歌を歌って【戦地】に赴いた人々の御霊は、今の皇室のあり方や、責任転嫁の「一億総懺悔」の言葉で片付けられたことで、永遠に救われないだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかも、多くの人が集まる場所ではこれを歌うことが義務付けられていたという。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
おバカに暮らしている私だけれど、許されることと、許されないことはしっかり胸にある。
この映画の監督の配慮から、最後の「海行かば」を「校歌のエール」に変えたことは、いい事だったのか・・・?はたまた、その事実を隠してしまった事なのか・・・?
それも胸騒ぐ事。
兎に角、重い重い一日だった。
-