MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

驚愕の日々の終焉


  • 今年も もう半分過ぎたなんて、信じられないぃ!

何をして過ごしただろう・・・。
無我夢中の半年だったなぁ・・・。

  • 一番大きな出来事は、何といっても「母・けい」が亡くなったこと。

2月7日。
意味も無く、母は常に存在するものだと思い込んでいたものだから、今もそのまま継続しているように感じる。
何より、母が居なくなったことを実感できないことと、幸か不幸か遠く離れて暮らした年月が長いので、新潟に行けば母が居る・・!という本能のような追憶が私を支配し続けて、現実がオブラートに包まれた形になっているようだ。
このままの自分を維持していけたら辛くないと、自分で発見した逃げ道かも・・・。

  • 3月29日、母の四十九日の法要の折、全員集まった席で三番目の姉が倒れたことも記憶に新しい。

幸い、医者である兄が直ぐに心臓マッサージをして蘇生したが、救急車に収容した後、30分も搬入先が見つからなくて待機させられたことも驚愕の事実。
新潟市内で、すぐそこここに一杯病院はあるのに・・・!
幸い、糖尿病(知らないで居た)の発作からだったようで、1ヶ月の入院期間に厳重な生活指導を受けて、今は事なきを得ている。
あの席だったから助かったようなもの。
自宅で一人で居た時だったら、どのような結果になっていたか・・?今思っても背筋が寒くなる。
これも、母の慈悲か・・と、皆で話し合った事だった。

  • そして、5月2日の午前、弟嫁からの驚愕の知らせ。

家人の弟が「心肺停状態」だからすぐにに来て欲しい・・と。
家庭菜園で作業中の家人を追い立てて、直ぐに東京の金町に飛んでいく。
あと2分  間に合わなかったと・・・、それから数日の悪夢のような日々。

  • 義弟の四十九日法要・・、翌週に納骨式・・・、一番の重い行事、25日の「宮内庁へのお礼参内」の大役を終えて帰宅した義妹にもたらされたのは、何と、今度は彼女の実兄の不幸の知らせ。

事前に予期していた病だったとはいえ、さすがに気の毒を通り越した日々。
それらをしっかりと受け止めて、決して取り乱したりしない彼女には感動!
こういう時に人間の大きさがものを言うのだと納得。

  • 彼女は、夫を亡くした数日後からまた始まった実母の介護、知る人ぞ知る、40年間同居の「孟母」(これは、彼女の弟である「福岡政行さん」(白鴎大学教授等)が「徹子の部屋」に出た時のテレビ欄の見出し文字。徹子さんがひっくり返って「え〜〜!?」と何回もお笑いになった、話題の型破りのおかあさま)のお世話に明け暮れていたこともあり、しんみり泣き崩れる時間も無いままの日々だったのも、もしかして幸いだったのかもしれない。
  • この半年のめまぐるしい不幸な出来事も、これで終わりになることを祈ろう。
  • 勿論、いろいろ楽しい出来事や小さな幸せもいっぱいだったと記しておこう。

孫達の「高校」「中学」「小学校」進級。
みんな、元気にそれぞれの新しい世界に飛び込んで頑張っている。

  • 大きく深呼吸をして、さ! 明日からの新しい半年を迎えよう! (^_-)-☆

どんな「ことども」が織られて行くのだろう。