MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

祖母の押し絵

   

  • 今日、従兄弟からのメールに画像添付があり、なんと!私達の「祖母」が作った「押し絵」が色鮮やかに目に飛び込んできた。祖母が亡くなった時に「形見」としてもらったものだとか。

医師である夫と共に病院運営に采配を振るっていた祖母が、何時の間にこんな手の込んだ趣味を楽しんでいたのだろう。同じく医者になった息子に早々と先立たれ、一旦引退した祖父が、孫が跡を引き継ぐまでの間仕事を復帰し、多分80歳近くまで患者を診ていたと記憶している。そんな夫の傍らで、看護婦さん達や女中さん達(今はお手伝いさん?)を相手に奮闘していた祖母の記憶しかない。気丈で、男勝りで、眼光鋭い、近寄り難い存在だった。
念願の「孫」に医者の仕事を引き継いで、祖父母共に引退してからの晩年は、少し柔らかい笑顔も見せていたが・・・。
外孫である私達には、本当の祖母の姿は良く知らなかったのかもしれない。
その祖母が、こんな「押し絵」を残していたなんて・・・。
祖母もやっぱり「おんな」だったのだなぁ・・・と、しみじみしたことだった。
これを作ってから、まさに「百年」は経っている。
百年の年月を経て、いまだにこんなに鮮やかな赤いちりめんが見られるなんて・・・。
いやいやいや、本当に感動した!
それにしても、子供である私の母「けい」が絵が好きだということに気付き、描くことを禁じたと聞いていたが、その心を推察したくなる。
忙しく立ち働く祖母の目を盗んで、雨後の庭の撫で付けられた土をキャンバスに見立てて、わくわくとイメージを膨らませて描くのが楽しみだった・・・と「けい」から聞いていた。描き終えると土を手で元に戻して・・・。
そんな絵心が沸騰したのが、私の父(42歳から右半身不随に)が亡くなった、母70歳の年から。すさまじい勢いで油絵や短歌にのめり込んだ90歳までの20年間の母けいの輝きは、本当に凄いものがあった。「けいの部屋」 ↓

http://retoto.cool.ne.jp/kei/index.htm

今は夢見人の身を病院のベッドに沈めている母「けい」の、光輝いていた日々・・・。

もしかして祖母も、自分の創作意欲を押し隠しながら生きていたのかもしれない。この押し絵が何時頃作られたのかは知らないが、何だかいろいろ考えさせられる「押し絵」だった。

ちなみに、従兄弟のHPはこちら ↓
http://homepage2.nifty.com/mokutyou/

  • レトちゃんの食欲が戻りました!

食べてくれることがこんなにうれしいとは・・・。

下をクリックすると、レトちゃんからのご挨拶が出ます。

http://orico.mtsnet.jp/service/RetrieveCard?id=ZN9FsRAj2Hgm14mTcRykIG