MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

年を取るということ・・・


   【 母子像 】      けい (油彩)



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    難儀だなぁ

        おどけてみても 

             切なくて         けい
 
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・姉と電話で、久しぶりに母「けい」の話をした。




・母が最晩年、病院のベッドに「夢見人」の身をゆだねていた頃のこと、次姉が見舞うと、うとうとしているかと思うと、時々「7・5調」の俳句や短歌をぼそりと呟いたそうだ。
それを耳に受け、ちょこちょこと書き留めておいたのをFaxで送って貰ったことがある。
その中でも、上の俳句がこの頃身に沁みて、折に触れ切なくわが身に当てはめているのよ・・・との、間もなく80歳を迎える姉の電話の声に、ぐっと胸が詰まってしまった私。



「おどけてみても  せつなくて・・・・」



そう・・・・、母はよく「おどけて」いた。
多分、悲しいにつけ、嬉しいにつけ、照れくさいにつけ、「おどける」ことで切り抜けて日々を重ねてきたのだろう。



・最晩年は、本当に「難儀」な身体だったようだ。
ベッドに身を沈め、身動きさえ「難儀」な状況の中、心も千路に乱れて、空蝉の如く昔と今との混迷の中、ふと思いがけず口に登るこんな本音。
そんな苦しみと悲しみの中でも、こんな「おどけてみても」の一語が入っていることに感銘・・・。



・遠く離れて住む私は、兄嫁と次姉に介護の全てを委ねてしまった。
同じ地に住む兄や弟、弟嫁までもが、本当に心から母の為に尽力し、慈しんでくれた。
雨の日も、風の日も、毎日病院の母を見舞いに通い、顔色や食欲などに気を配ってくれた姉たち。
「思いだけ」で何も出来なかった私に、「私も実家の母には何も出来ませんでしたよ、その方がどんなに辛いか、良くわかります」と静かに慰めてくれた兄嫁。
皆の心を一杯重ね着をして、最後は美しく逝った母・・・・。



・母のことをいろいろ書きたい日だが、残念ながらもう寝なくては・・・。
また何時か、ゆっくりと母の短歌に込めた人生を書いてみたい。



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ここ数日の、狂ったような「豪雨」。
今日は、我が家近辺がターゲットだったようだ。
NHKニュースにも映像が何回も出たが、ちょっと低い場所が冠水して、ずっと長い間警察や消防車が周辺を警戒していて、サイレンが鳴り響いていた。
このお天気、明日もまだ何やらぐずぐずと引きずっているようだ。
お陰で「頭痛」。  (-_-;)