MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

ミシン刺繍を施して・・(2)

 

  • 今日は、「ミシン刺繍を施した洋服(2)」を・・・。

夏のワンピースで、麻混のポリエステルのサラリとした生地で。
余りにも「変哲もない」生地だったので、少しアクセントを入れてみた。
どすこいMEMEは、ウェストをマークしたデザインは絶対無理になってきたので、下手をすると(下手をしなくても)全くの「おばちゃん」いや、「おばあちゃん」センスな洋服しか着れなくなってきた。
だから、せめて!!せめて!!何処かに「自分らしさ」を込めた服を着たいのだ!!
そんないじらしい洋服。

  • 2泊3日で久しぶりに主人とお出掛け。

紅葉見物がてら途中の越後湯沢で宿泊し、翌日、足を延ばして新潟市の母「けい」に会って、また湯沢でもう一泊し、先ほど帰宅した。
母は私のことは認識してくれなかったけど、あったかいつるつるのほっぺにほっぺを重ねて、肌の温もりをしっかりと貰ってきた。
今もこの、同じ世界で同じ空気を吸ってくれている・・と思うだけで、満足しようと決心してからは、どんな姿になっていても有りがたいと思うことにしている。

  • 新潟にいる兄弟姉妹全員が集まってくれ、昼食会を開いてくれた。

あの、小さくなってしまった母「けい」だが、今からは考えも及ばぬ事だが、7人の子供を産み育ててくれた。
その全員が今もぞっくり健在だという幸運も、有りがたいこと!
昨年、長姉(間もなく80歳ですって!)の連れ合いが88歳で亡くなったけれど、他の全員は配偶者も健在!
あの戦中戦後の苦労の中、皆で助け合い一団となって生きてきた家族達。
42歳の若さで脳梗塞になり、右半身不随になった父を中心に生きてきた絆が、こうして今結実しているのかとも思う。
父が倒れた時には私が3歳(5人目の子)、妹が母のお腹の中で臨月!という時。
だから私の記憶は、不自由な身体障害者ながら頑張って7人の子供の為に働く父しかない。若い時の長身のハンサムな父の姿は写真で見ただけ。
77歳で亡くなるまで現役だった父。
そんな父を支えながら戦中戦後を生きてきた母の偉大さにも、胸が熱くなる。
貧乏で、でも毎日ささやかな幸せ感を持ちながら、一つの炬燵にみんなで温まり、いろんなことを話したなぁ・・・。

ミジメな気持ちを全然持たなかったのは、他の皆も多かれ少なかれ戦後の苦労をしている時代だったからかもしれない。
何より、脳天気かと思う程愚痴を言わずに頑張る父の姿を見ていたからだったと思う。
幸い、奨学資金のお世話になってだが、兄は国立の医学部を出て医学博士になり、今も現役。甥も国立大学医学部助教授で活躍中。もう一人の甥もやはり国立大学工学部助教授で頑張っている。あの萎んでしまった母が、少しは世間のお役に立つ仕事が出来る子供や孫を生み出してくれたことに感謝している。
その他の皆も(我が子達も含めて)、それぞれの場それぞれの分野で生き生きと頑張って居る事にも!
こうして兄弟姉妹、それに配偶者まで集まり、和気藹々と過ごす時間を持てたことに本当に感動した!
ベッドの中で穏やかな夢見人のような眸をしている母の、越し方に思いを馳せたことだった。
介護入院している病院に、毎日毎日、雨の日も風の日も通ってお世話してくれる兄嫁の根気と慈愛と責任感には、本当に最敬礼!
私だったら果たして出来るかな・・・と思う献身。
心よりありがたいと思う。
遠く離れて住み、何もお手伝い出来ない私だけれど、こんな皆のお陰様で今の私がある・・という感謝の心だけは最大に持ち続けている。
幸せな母・・・。この歳になるとつくづく思う。

  • 私の長男も今年42歳。感慨深い歳だ・・・。