MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

久しぶりの「車中ウォッチング」

久しぶりの電車外出・・・。たった二駅間で、果たして「ウォッチング」出来るかな・・・?

と・・・、目の前に座っていらっしゃるご婦人の胸に目が行って「あれ?」と思った!   

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オーバーのたっぷりしている左襟に、小さな小さな赤いブローチが埋まるように光っている。

あまりの小ささに、これは何のブローチだろうか・・?とそれとなく目を近づけて観察したら、まぁ、驚くことに、「赤いピエロ」が躍っているデザインだった!!

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多分、こんな感じ・・・。

 

余りに小さなブローチに対抗するかのように、セーターに掛けたネックレスが、これまた凄い!こちらは盛大に金の大振りのデザイン。

これでバランスを取っている感じなのかな・・・?

このお歳で、このブローチとネックレスの扱いを事もなげに実行していらっしゃる感覚に感心した。

このブローチ、実は私も持っているのだ!!  (≧▽≦)

  f:id:retoto:20200112151824j:plain ← これは私の「ピエロ」ちゃん。

この年で「ピエロ」・・・?とお思いの方もいらっしゃるかかも・・?

でも、シャツカラーに何気なくあしらったりすると、何だかとっても嬉しいのです!

「いよ~! 同志さん!」と握手したい感覚になったことだった。

 

 ★

「ピエロ」のブローチでは、もっと書いて置きたいことがあった!

前に書いた「シャツ襟」のエピソードのデパートの「手作り祭り」の時、近くのブースで売っていたある方の作品のテーマが「ピエロ」。

粘土細工だと思うけれど、とっても雰囲気があって素敵だったので、一つ買い求めた。

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これはペンダント仕様で、ブローチにもなるというもの。

マントの広がり方や、そこから覗いている「手指」の大きさが何とも神秘的で、大事にしまっていたもの。

材料がモロそうだったので、実際に身に着けるには躊躇があったが、その独特なファンタスチックな姿態に魅せられている。

 

彼女の他の作品もみんなこんな感じで、おおらかな想像の翼で飛び出しそう・・・。

 

私にはこの才能が眩しい。

 

私には、デッサンにも言えることだけれどこういう「想像の膨らみ」が貧しいと思う。

ちまちまと正確に描くことしか出来ないのが悔しい。

このピエロの作者のような大らかなセンスの広がりが羨ましい。

性格だから仕方ないのかな・・・?

 

ピエロからこの作品に思考が移動してしまったが、この「金色ピエロ」を手に入れてからもう40年以上になるのに、ただただそのイメージの羽ばたきに憧れているだけで、ちっとも進歩しない私のセンス。

 

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さて、ウォッチングの次の方どうぞ・・・。 (^O^)/

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はいお次の方・・・、「ピエロさん」のお隣で物静かに佇む清潔感に満ちた女性。

とてもお洒落感が漂っているので、ん・・?と注目してみたら、あ・・・、白髪の頭を見事に刈り込んで、1cm程の長さで綺麗に揃えていらっしゃる・・・。

私も、染めて何とか誤魔化している髪をいっそこのように短く刈って、自然な自分の髪に生え交わそうと思えども、意思が軟弱で、ついつい染めてしまう。

彼女の「潔さ」に惚れた。

(ご病気が原因で止むなく・・かとも思ったけれど、形状からしては違うようなので)

 

手元を見ると、う・・・! 指先がない手袋をさりげなく・・・。

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「私はただの主婦ではございませんの・・・」的、やる気満々の気配が・・・。

 

どんなにお歳を召していても、おしゃれ心を忘れていない・・というご様子を見ると、その心意気が嬉しい。

 

82歳という齢に潰されそうな「か弱い」 どすこいMEME。

私も頑張ろう!!!  (^O^)/

 

 

友の展覧会へ

柏で開催されている絵の展覧会を見に家人と出かけた。

いつも車でささっと用事を済ます感じだったけれど、今回は久しぶりに電車でのおでかけ。

たった二駅だけだから、「車中ウォッチング」の題材は見つからないだろうと思っていたら、目の前で発見! 

今日は遅いので、明日にでも久しぶりの「車中ウォッチング」が書けそうだ。

 

「柏パレット」という会場での展覧会は、我が「あびこデッサン会」の友人知人たちも数名出展していらして、なかなか見応えがあるものだった。

意欲的、精力的に絵に挑んでいらっしゃる方々が眩しい。

tyako2006.hatenablog.com

それにしても、暫く行かないでいるとまるで知らない都市のように発展しているのね・・・と、柏の町にびっくり。

都市化に取り残された「おばあちゃん」気分をたっぷりと味わったことだった。

 

それにしても、外出は疲れる~~!  

明日は今年初の「デッサン会」

早すぎる!!

あっという間にもう8日も過ぎ、明日は今年初の「デッサン会」。

1月・2月は寒いので、コスチュームポーズになるらしい。

やったぁ!  (^O^)/

一年でこの月が待ちに待ったコスチュームデッサンの日!!

楽しみ!楽しみ!

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ルリちゃんも、床暖でコスチューム(?)姿。

家人に「もう少し大きめの可愛い洋服を作ってあげてよ」と、何回言われたことか・・・。

でも、この総裏付きの純毛はあったかい筈。・・・と、なかなか腰が上がらない私。

この写真を見て、やっぱり作ってあげないと可哀そうかな・・?と納得。

可愛い「おちり」がはみ出しているぅ~!!   ( *´艸`)

 

孫夫婦からの花束が届きました!

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孫夫婦が、動物大好きおばあちゃんの82歳の誕生日の為に、こんな花束を拵えて送ってくれましたよ!
( *´艸`)

届いた瞬間、あれ・・・?!と目を見張りましたが、まぁまぁ、我が家の初代わんこ「パルちゃん」そっくりのスピッツカーネーションワンコがにっこり登場しました!

思えば、この孫の父、すなわち私の息子がお腹にいる頃、金町の家で初めて飼ったのがこのスピッツ

この子も凄いエピソードを私達に一杯残して去りました。

(このわんこを含めて「我が家を駆け抜けた「ラ行」のおんな達」という題名で電子書籍を書きかけです)

p.booklog.jp

(その内、順不同ですが全員の生き方を書いて残します)

 

そんな59年前のパルちゃんが出現してくれて、驚きとうれしさで、しばしパニック!

( *´艸`)

それにしても、今まで独身時代は妹と共同での「動物カレンダー」が誕生日祝いだったのに、結婚して一家を構えると、わ~い! ランクが盛大に上がって、花束を贈ってくれるのね!

「おばあ・感激!」  (^O^)/   うふ

 

それにしても、この年になって「花束」は事のほかうれしいですぞ! 

新しい生活が始まった孫夫婦に、幸あれと願います!!!

 

 

 

 

 

家人作の器でお節を

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13年間続けた【陶芸教室】を卒業した家人の、最後の作品がこの「籠編の器」。

お節を載せるのに丁度良いわ!と・・・。

(真ん中のピンクの梅の小鉢は違います。丁度有ったので黒豆を入れる器にしました)

塗りのお重はあるにはあるけけれど、もう、何十年も仕舞ったまま。

後のお手入れが大変なので、全部箱の中・・・。  ( *´艸`)

 

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盛り付けた感じはこんな感じ。

二人だけだから、ちんまりと・・・。

 

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上の取皿も、お揃いで作ってくれた。

これで陶芸作品も終わりだと思うと、何だか少し寂しい。

 

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ところで、毎年使っている【はらん】を今年も黒い器に敷いた。

 

この「はらん」、元を辿ると約68年前に家人が彦根の祖父母宅を訪ねた際に、庭に生えていたものを一株東京の家に貰ってきたものだそうだ。

それを東京金町の家の庭に植え、その後、結婚して建てた我が家の庭に金町から一株移植し、それから今の場所で二世代住宅を建てた時に一株植えた物。

何と、私達の移動に添って転々と一緒に生きてきた可愛い子。

 

彦根の祖父母達が住んでいた勘定人町の家は、何と!300年も経っているものだったそうで、九州への新婚旅行の帰りに挨拶方々立ち寄らせて頂いたものだった。

玄関の前の塀が時代劇に出てくるような作りになっていて、細い屋根のようなものが載っていたのが珍しかったのを思いだす。

家の中は、本当に時代劇のように「土間」があったり、蔵があったり、廊下が庭を取り巻くようになっていたり、トイレが廊下の一番端にあったり・・と、興味津々で一泊させて頂いたものだった。

その、庭にある【蔵】の中で、家人一家は疎開させて貰って過ごしていたとか・・・。

 

そこも、間もなく新しい家屋に建て替えられたそうで、何だか惜しい。

 

そこの疎開時代の思い出の庭に生える【はらん】を一株、就職のご報告に伺った際に東京に持ち帰ったものだそうだ。

脈々と「彦根」「東京金町」「我孫子」「今住む我孫子」と繋がって生きて繋がってくれた可愛い「はらんちゃん」を、毎年お正月のお節の敷きものにしている。

 

こうして、自分たち世代に繋がる昔の思い出があることに感謝する・・熟年世代の私。

 

今日から82歳の日々

実を言うと、私は「歳を取る」ことにあまり焦燥感や違和感が無い。

むしろ、越し方に感謝・・という気持ちが強い。

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何か、人生を悟ったような、偉そうなことを言っているようだけど、ちょっと違う。

私の人生を振り返った時、「自分でやれそうなことはやってきたよ」という日々だったように思う。

 

有り難いことに、家族に恵まれたことや、時間を自由に使えた事や・・・で、周辺に甘えながらだったかも知れないが毎日を目いっぱいに生きてきたと思う。

 

若い時は、自分がやりたいことは何だろう・・・との模索から、いろんなおけいこ事に手を伸ばしてみたことがあった。

「お琴」「書道」「お花」「お茶」・・・、そして残ったのがおけいこ事とは全然関係がない、【洋裁】と【絵】と【HP素材作成と提供】という事が私の【三種の神器】になったのも面白い現象。

 

人生後半から「これさえしていたら幸せ!!!」というものを見つけられたことが私の一番の宝だと思う。

それだって、家族達の思いやりや、そういう時間を繰りだせた環境などで実現出来た事。

本当に有り難いことだと感謝しかない。

 

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思えば、新潟駅の近くで生を頂いたのが昭和13年。

7人姉兄での5番目、女の子としては4女としてが出発点。

 

そうした中、私が三歳の時、妹が母のお腹で臨月を迎えたある日の事件で我が家の方向が一時軸を失ったように揺らいだ。

 

父が倒れたのだ・・・!

 

代々続く医家の娘として育った母・・・、一瞬にして6人の子供(後にもう一人生まれる・・)を抱えて夫の看病(脳梗塞?)に明け暮れする日々を送ることになった母。

 

私には、父の「普通」の姿の記憶がない。

右半身不随の覚束ない身体で頑張っている父が私の中の父。

それを、全然違和感なく大人になった。

引き摺る足の音、特別重い茶碗を動かないようにテーブルに置いて左手で食事する姿、

右半身不随に起こる「言葉の重さ」など、病気から来る症状を何の不思議とも感じずに大人になった・・・。

 

何故なら、それは父が一言も「愚痴」を言わなかったから。

 

効き手を「右から左」へ素早く切り替える努力をしたため、字は私達よりずっと上手かったし、何よりも常に明るかった。

そんな父を、障碍者だなどとは全然思わずに大きくなり、「あれ?もしかして、スマートでない身のこなしや会話が重いのは、病気のせいだったのかな・・・?」などと気がついたのは何と!私が結婚してからだった。

 

ここまで生きてきて、私が一番尊敬するのは「父母」!!! と、なんの躊躇もなく言えるのは、そんな背景から・・・。

どんなに大変であっただろうに、暗さが全然ない家庭で子供を育ててくれた事に、心から感謝する。

 

父は77歳まで現役で仕事を続け、家の大好きな庭の鯉を眺めながら突然逝った。

母はまだ70歳だった。

それからは、医者である兄夫婦に見守られながら「油絵」の独学を始め、「俳句」とともに豊かな趣味の時間をいっぱい堪能して98歳まで生きた。

http://www.ream.ais.ne.jp/~meme/kei/koi.htm

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庭の鯉

     縁日で 亡夫(つま)ともとめし錦鯉

              戸を繰る度に口あきてまつ

蓮の葉の  水玉揺らす  池の鯉

父は鯉が大好きでした。
私が生まれ育った前の実家でも、縁の下まである池にはいつも沢山の鯉が泳いでいました。
新しい家に引っ越した時も工夫を凝らした池を作り、毎日覗いて餌をやったり楽しんでおりました。

その庭の池の傍に佇み、大好きな鯉を眺めている至福の時に倒れて、
そのまま帰らぬ人になったのです。 77歳でした。

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兄夫婦の、真似が出来ない程の献身と心使いで最後まで幸せな日々を過ごした母。

★ けいの部屋(70歳から始めた 油絵と短歌の記録)

★ http://www.ream.ais.ne.jp/~meme/kei/index3_.htm

(姉の夫が資料を纏めて小冊子を作り、それを元にMEMEがHPにしてUPしたもの)

 

★ 特記すべきこと!!  ↓

我が兄弟姉妹、総勢7名!!  長姉「96歳」を始めとして、以下「75歳」の弟まで、全員今も元気で生きていることの素晴らしさ!

その一員としてここに居る私!!

これほど嬉しい事があるでしょうか・・・?!!

 

82年前の昼過ぎ、何と、4kg(・・ということにしておこう・・という母の含み笑いから想像すると、もっと!!?)の巨大児として生を授かった私。

お正月にお餅やご馳走を一杯食べてからこの世に生まれたから・・・という伝説になっている今の「ドスこい」MEMEの逸話。  ( *´艸`)

 

私の人生は、いろいろあったけれど全てが「意味がある」事だったと思う。

全ての事に感謝!!

 

などと・・・。

 

何やら、思いが走ってしまって書き連ねたが、読み返すのが怖いぞ・・・。 

 ( *´艸`)