MEMEの日々のことども

日々の星屑を拾って書き残そう・・、そんな「85歳」。  HP「素材の小路」「MEMEのベランダ」(裸婦デッサン等)「MEMEの便箋」「ドレスの小路」「けいの部屋」など。

「素材の小路」のURL ブックマークの変更はお済みですか?

    

 

https://memeveranda.web.fc2.com/sozai/index.htm 

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23年程前から使用していた「素材の小路」のURLを先日変更しました。

 

古い方でブックマークをして下さっていたら、お手数でも上記の新しいURLに変更して頂けたら嬉しいです。

 

お手数をお掛けして申し訳けありません。  m(__)m

 

https://memeveranda.web.fc2.com/sozai/index.htm

 

よろしくお願い致します。

 

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上の美しい花束は、今から23年程前に神戸のクリスタルタワーで、ある「PCの勉強会」の方々がお招き下さり、

「MEMEさんと語ろう」という会を催して下さった時に、会場の入り口に飾って下さった心暖かな会員の方々のお気持ちが籠った「花束」です。

 

「MEMEと語ろう会」 神戸 クリスタルタワにて  講演の模様

 

 

            「講演内容」

MEMEと語ろう会趣旨

主催 【パソコン110番友の会・自然と文化の探検団
場所 : クリスタルタワー6階(総合研修室)

04/ 5/ 13日 13時30分~

■ ■  全体の分類  ■ ■


              1 何故ホームページを立ち上げようと思ったか(動機)

       2 最初にしたこと

       3 MacからWinへのソフトの変更騒動

       4 緊急の素材作り

       5 サーバーから貰えた「10MB」のスペースとの格闘

       6 新サーバー探しの失敗と成功。涙で得たHP作成技

       7 6つのHPの内容とご紹介

       8 HPを立ち上げて良かったこと

       9 インターネットの怖い部分

       10 HPの今昔と、「素材屋」の思惑

       11 その他 「ことども」など

 

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詳細

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1 何故ホームぺージを立ち上げようと思ったか(動機)

  

■ 息子一家と二世代住宅を建てて一緒に暮らすことにした地域が、たまたま「ケーブルテレビ」が使用出来る

範囲内だったことから、「常時接続」のメリットを最大限使用出来る「ホームページ作成」を決意。

それまでのPC経験は、次男から貰った古いMacで絵を描いたり、便箋作りを楽しんだりを2年ほど。

キーボードの練習は新潟に住む兄嫁とのFaxのやり取りで練習し、最初「ひらがな」で、後に「ローマ字」に変更して

(自己流の打ち方)で何とか打てるようになる。

新居に引越して半年後の60歳の誕生日祝いに息子達から中古のパソコンをプレゼントされて、本式にスタンバイOK!状態に。

ホームページ作成にはWinの方がやり易いらしいので、使い慣れたMacからWinに鞍替え。Mac党の次男から「裏切り者ぉ!」

と睨まれつつも…

 

2 最初にしたこと

■ NHKでやっていた「ホームページの作り方」などという番組をつぶさに見る。

その当時、ホームページそのもが珍しい存在だったようで、随分あちこちでやっていた。

クリック操作一つで居ながらにして外国の映像が瞬時に見られるという驚異に胸がわくわくする。

その時点では、Macで描き溜めたCG絵を主にサイトを立ち上げようと計画していたが、後で思わぬ方向に発展することに…。

(3で詳細を)

ホームページを立ち上げることを決心してから、本屋さんで「土日でマスター・ホームページの作り方」なるものを買い込んで

必死で読む。

専門用語が飛び交い、横文字の氾濫に、目が三角に。

その前に、Macの操作とは完璧に違うWinの操作も勉強、殆ど同時進行で頭の中がくらくら状態。寝ても覚めても横文字

パソコン用語にうなされていた時期。

1999年1月にWin購入で、最初のホームページ立ち上げがなんと!2月17日。二ヶ月で立ち上げたことになる。

今思うと、信じられない位のファイトでした!

 

3 MacからWinへのソフト変更騒動

■ ビジュアル系のソフトは断然Macが優れているという世間一般の常識から、絵を主体に楽しみたい私としては

Macの魅力は大きなものだったが、使用していた「Painter 3」というソフトがWinにも何とか互換性があるようなので、

ホームページ作成の便利さを優先してWinを取り入れることに。

ところが、MacからWinへのデータの引越し作業でとんだ失敗を!

当時の私には手に負えない作業なので、二階に同居している長男にSOS

長男もまだパソコンの知識が薄い時期で、今思えば考えられないことながら、バックアップという作業をしていないまま

MacからWinへのデータ転送をしようとして失敗!

「あぁっっ」という声と共に今までのCG作品が蒸発してしまう羽目に!

辛うじて少し残った画像を前に途方に暮れる。      

これでは「絵」のホームページは作れない…。

そこで考えた。どうせホームページを作る時には「素材」を作らなければいけない。

よし!「素材を作ろう」   ドンマイ!ドンマイ!

 

4 素材作り

■ それからの私は、自分が使いたいと思う素材を目指して、手探りで素材作りを始める。

勿論初めての経験だし、正に独学だから、又本を左手に難しいマニュアルの横文字を解読しながら一つ一つ作って行く。

Web素材というものは、サイズの軽さを必ず考慮に入れて作成するものであることや、縁の透過処理などを学びながら何とか

数を溜めていく。

その内に、「減色ソフトにかけてぎりぎりの軽さ」で提供する手法や、アニメーションの作り方なども勉強して、何とか形が

出来てきた。

その当時、何を見ても「素材」に出来ないか…とか、これをアニメで動かすとしたらどんな動作が良いかな…とか、

うなされる様な熱の入れようで過ごした。

アニメの場合、何枚の画像で構成するかで重さが違ってくるので少ない枚数で表情を出すのには本当に苦労します。

しかも、使用枚数分の重さが全部一枚のGIFアニメ画像にかかってくるので、どうしても小さな素材しか作れない。

今は「常時接続」の方が多くなって来たが、当時は回線に繋いで料金を気にしながら・・・という状態だったので、

少しでも素材をお使いいただく方の負担を少なくしたい!と、そればかりを気にして作っていた。

そうして出来上がった最初のサイトが「素材の小路」。

「小路」という字の変換が難しいことを知ったのはずっと後になってから…。

木漏れ日がチロチロ舞う小路をそぞろ散策・・・というイメージで付けた名前。

どうしても「路」を使いたい理由もあった。(孫の名前の一字)

ところが、変換の際に「こみち」とやると「小道」と出てくる。しまった!

皆様においでいただくにも「小」と「路」を打っていただくことになる・・。

でも、どうしても「小路」にしたい私。でも、面倒さから「こうじ」と打って変換している自分・・・。

「こうじ」と発音すると、電信柱にわんこがチィを引っ掛けて歩くようなイメージになってしまうなぁ…。      

名前って難しい…。 

 

5  サーバーから貰えた「10MB」のスペースとの格闘

■ さて、プロバイダーから貰ったホームページスペースが「10MB」。

今でこそ「100MB」を平気で無料提供される世の中になって来たが、当時は殆ど

「10MB」提供の時代。

「素材サイト」は沢山の画像をUPしなくてはいけない関係から、ますますサイズの軽さという課題に真剣に取り組んでいた。

「素材の小路」を立ち上げてホームページの仕組みが分かったところで、はたと思いついた次のカテゴリが、長年作ってきた

「ドレス」のサイト。何となく写真に撮っておいたものが沢山溜まっている…。

私の友達のお嬢さん(芸大)のコンサート用ドレスを頼まれたのがキッカケで、趣味の延長のような気持ちで私自身も

楽しみながら作ったドレスの数々。

最初の頃の作品は撮っていなかったけれど、途中からは殆ど映像に残っている!

そこで、スキャナーで取り込み何とか掻き集めて「ドレスの小路」のサイトを立ち上げる!

新しいPCを買って貰ってから2ヶ月で「素材の小路」をUP

その二ヶ月後に「ドレスの小路」をUP。(4月17日)

そのまた二ヶ月後に、念願の「MEMEのベランダ」をUP。(6月13日)

こうして、半年の間に3つのサイトを立ち上げたのでした。

 

6 新サーバー探しの失敗と成功。涙で得たHP作成技

■ ところが、前述の「10MB」にひしめく三つのサイトに、当然ながらスペースが完全に悲鳴を上げ始めました。

特に画像が多い「MEMEのベランダ」を何処かのサーバーに引越しをさせようと思い立ち、いろいろ

「無料スペース提供サーバー」を探したところ、なんと!「スペース無制限・広告無し」の素晴らしい所を見つけた!

その名は「Web-G」。

そこは、芸術部門専門のサイトだけ扱う誉高き「審査つき」のサイト。

自分でFTPを扱うことを禁じ、UPしたい絵の全てを審査した上で一ヶ月に一回だけ更新を許されるというところ。

掲載ページを作成しリンクも完成させたHTMLと共に、圧縮して送るというシステム。

ところが、自分でFTPを使ってUPした場合は不都合なところなど何時でも直したり出来るが、この方法だとちょっとした

ミス(例えば 全角・半角文字の使い分けや表の使い方など)をWeb上で確認する方法も分からず、間違いがあると

つき返されるのです。

許された一ヶ月に一回の更新に毎回死闘(?)が繰り返されて、まるで意地悪されているような気持ちに落ち込んだり…。

悔し涙を流しながらの更新だった。

その後、サイズが膨らんだ「ドレスの小路」も引っ越すことになり、100MBの有料のスペースを借りたので、

そこのスペースの一部を「MEMEのベランダ」も使う事になり、かの「Web-G」を退去することに。

その時、Web-G審査委員会に「ありがとうございました」とお礼のメールを出したところ、「こんなに食いついてきた人は

いませんでした。これで一人前の立派な管理人になってご活躍されることでしょう。いつも貴女の努力と熱心さに

審査委員会一同感動していました」と書いてありました。

もう!本当にうれしくて、今までの苦闘が血となり肉となっていた事を知りました。

「こんなばかばかしいサイト、止めちゃお!大失敗だった!」と何度思ったか知れません。

でも、我慢して我慢して、諦めなかったことが現在の「基礎」を作ったのだと、今では感謝のみです。

 


 

7  6つサイトの各カテゴリの説明

 

■「素材の小路」――― 素材作りの苦労と楽しさ。(後述)

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「ドレスの小路」―――ドレスにまつわるエピソード。


  新婚旅行から帰ったその日から、主人の実家で10人家族の一員に。

  そんな中、自分の服や二人の子供の服は勿論、姑・小姑の服もせっせと作り続け、もともと好きだった

    こともあり、毎日のようにミシンを踏んで楽しんでいた。

  それが後々の「ドレス作り」に役立っている事を思うと、人生、無駄は無いものだとつくづく思う昨今。

* そんな「専属デザイナー」(?)をさせて貰っていた義妹も嫁ぎ、息子達も手製の服を敬遠し出し姑も

     突然召されてしまった時、「喪失感」というか、「空の巣症候群」というか、何とも言えない空虚な思いに

    捕らわれてしまった時期があり、人間、誰かに喜んで貰える事をしている時が一番幸せなのだと悟る。

* その後、自分の服をハギレで作ったりしていたものの、だんだん「何を着てもパッとしない」自分の体形の

       変動に嫌気が差し、乗らない日々を経験する。

* 二人の息子も思春期に入りそれぞれの生き方をはじめ、親としていろいろ悩む事が多くなり、「子離れ」

     の時期を乗り越えるには私自身が自分の時間を持つことだ!という結論に。

* 主人の金沢単身赴任もあり、頼まれるまま一念発起。初めて人様のお洋服をぼちぼち作り始める。

* 人様のお洋服を作り出したは良いけれど、その頃からの「既製服」の氾濫に、手製の洋服の価値に戸惑う

       気持ちを持つ。廉価な既製服には太刀打ちできないものを感じていた時期、たまたま友人のお嬢さんの

       舞台ドレスを 頼まれ、その楽しさに魅入られる。

* 幼少の頃から「お姫様のドレス」をデザインして描く事が何より好きだった私にとって、実際に作り、

      舞台で輝くドレスを見るにつけ、これぞ私の進む路!と心に決める。

   舞台ドレスは「世界で一枚!」しかないドレスが何よりの意味があるもので、何千人の観客席からの期待の

   まなざしを受けて輝くオリジナルドレスの価値を重く受け止める。

* そのヴァイオリニストが、世界の3大コンクールの一つ「ロンティボーコンクール」で優勝するに至り、思いがけ

    なく私のドレスも世界的な舞台に羽ばたくことになった。

* 驚くことに、その世界の三大クラシック音楽コンクールの全部にMEMEのドレスが活躍の実績。

   チャイコフスキーコンクール」では、諏訪内晶子さんと共に本選まで残って競った方のドレス。

   第14回ショパン国際ピアノコンクールにてディプロマを受賞した根津理恵子さんの予選・本選用のドレス二枚。

   「ロンティボー音楽コンクール」でグランプリを取った時の予選・本選の二枚のドレス。

   そのほか、イギリスでのコンクールやいろいろなコンサートでMEMEのドレスが世界を巡ることに。

* それが、口コミで「芸大」関係の方々の依頼が来るようになり、「フルート」「声楽」「ハープ」「ピアノ」と、

    多方面の楽部の方のドレスを担当することに発展。

* 楽器によりいろいろと制限がついて回るドレスのデザインを研究し、細かい工夫を考えるのが実に勉強になる。

   例を挙げると、ピアノの場合は演奏時に座るので、横から見た美しさを主眼に。右のスカート部分に刺繍や

     花飾りが来るように考慮し、腕の自由を考えたデザインに。

   「ヴァイオリン」の場合は、最後まで立って演奏するので(ソロの場合)スカート部分にアクセントを持って

   くると綺麗。見頃はヴァイオリンや腕で隠れてしまう。

   左肩付近はビーズは勿論、飾りは一切付けられないし、ネックレスなどの装飾品も駄目なので、華やかさを別の

   ところで表現しないといけない。

   演奏は優雅に見えても、実は重労働。

   演奏に少しでも負担になるようなデザインは、神経が研ぎ澄まされている状態のソリスト達には何より

      嫌なこと。

   華麗さを求めるよりも、まずその点に神経を使ってドレス作りを心がける。

   「ハープ」の優雅な演奏が、実は凄い重労働だということをドレス作りで知る。

   美しい曲に隠された過激な「足サバキ」。ペダルをばきばき踏んでいることを始めて知りました。

   あるハーピストは、お父様の外国土産のシルクの生地で作ったドレスの裾をハープのペダルに挟んでしまい

   (リハーサル)、柔らかく滑る生地は危険だということを知りました。

   「声楽」のドレスは殆ど制限が無いためか、華やかさを最大限利用して楽しいドレス作りを楽しめる。

   「フルート」は、複式呼吸が激しいので、少しウェスト部分にゆとりを入れて作成。

   などなど、作っている内にいろいろ勉強出来て楽しい。

* ドレスの役割は、「素晴らしい演奏」がまずあり、それをバックアップする形で存在するのが理想。

   コンサートが終了した時の感想・印象が「素敵なドレスだった」ではドレスとしては失敗!

* 演奏と曲とドレスが一体となった素晴らしいコンサートが終了した時、「ほぉ・・・」とため息と共に満足感が

   漲る瞬間、ドレスを作って良かったなぁ・・・と嬉しさがこみ上げてきます。

   感動のコンサートが終わっての帰途、会場を後にした道すがら、「わお!エクスタシー!」と思わず叫んだ私

   の腕を慌てて引っ張った主人。ほんと、叫びたくなるような興奮のコンサートもあるのです。

 

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■「MEMEのベランダ」―――裸婦デッサン・クロッキーパステル画・油絵・絵本について。


* 58歳から始めた「裸婦デッサン」。人間の体の美しさと不思議さの探求に、何処まで描いても終わりが無い

   ことと知りました。

   明るさと暗さの微妙な使い分けで立体感や情感を表現する「創作」は、十人十色の作品を作り出し面白い

   ほど個性が出るものです。

   絵の基本という「裸婦デッサン」は、あらゆるところで役に立つ基礎。デッサン力をより身に付けたい。

   最初の日、裸婦の実物を前に大いに戸惑いました。男性諸氏も数多い中、目のやり場に困ったことを思い出

   します。でも良くしたもので、二回目の教室ではもう全然違和感を感じないのです。

   でも「男性モデル」を描いた時には、またまた戸惑いました。

   やはり二回目にはもう平気。細部に亘ってちゃんと観察してデッサンしている自分に驚きました。

* 裸婦クロッキーの面白さは、4分という短い時間に、的確な線でデッサンを完成させる手法。

   4分のベルでサッと次のポーズに移ってしまうので、一秒一秒が貴重。

   手がわなわな震えて、息も出来ない位の充実した時間の経過。

   これで、瞬時に観察した事を描きとる勉強をする。たった4分の激闘だが疲れ果てる。

   80歳を過ぎた教室の大塚先生は、70歳過ぎからクロッキーは描かないことにしたとのこと。

   4分間でそれ位エネルギーを使うクロッキーは、病み付きになるほど楽しく勉強になる。

* パステル画は、90歳を過ぎて油絵を描くのが面倒だ・・と言い出した母「けい」に、パステルなら簡単に

   直ぐに取り掛かれる素材だから・・・とプレゼントしたものを、「あなたが描きなさい」と返されたこと

   から始める。

   今考えると母は、そろそろ加齢の重みを感じ始めた頃だったかも知れません。

   それ以来、油絵は勿論、描く意欲を全く無くしていったようです。

   その頃の私は、だんだん衰えて行く母の気力に焦りまくっていました。

   「どうぞ「けい」に励ましのお手紙を下さいと「けいの部屋」に訴えたころです。

   そんな時期も経過し、今は小さくなった身体をベッドに沈め、穏やかな顔でうとうとするのみのけい。

   そんな「焦り」がくれた「パステル」の楽しみ方です。

* 油絵は、ドレス生地を広げている時には絶対描けない。

   エプロンをしていても、何処かに絵の具が付いていることがあるから。

   だから、落ち着いて油彩絵の具を広げられる時でないとなかなか描けない。

   でも魅力的な素材だから、いつかは本格的に頑張ってみたい。

* 絵本は、孫たちへのプレゼントから始まったこと。

   身近な話題を絵本に描き、印刷・製本してプレゼント。

   まだまだ一杯描きたいこと、残しておきたい出来事があるのに、描けないまま時間が過ぎて行く。

   あぁ、時間よ止まれ! の心境。孫孫達はどんどん成長していく・・・。

 

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「けいの部屋」―――現在95歳の母「けい」のこと。70歳から始めた油絵・短歌のこと。


* 誰しもが自分の母や父の思い出を大事に生きていらっしゃることと思いますが、私も同じ。

   でも、こういう形でインターネットを使って、自分の気持ちや思いを記録に残せたことをとても良かった

   と思います。これこそがインターネットの素晴らしいところで、大いに利用価値があると思います。

   戦前・戦中・戦後と、子供を育てるためだけに生きてきたこの世代の方々。

   何もない食糧難時代の中、ここまで育てて貰った事に心から感謝です!

   老人の繰言・・と思われてしまうだろう戦後の生活の悲惨さを、今の時代の方々は想像もできないと思います。

    そんな中、病に倒れた夫と築いた50年余の母の記録をHPに記そうと思い立ったのです。

* けいの人生の旅路を抜きにしては語れない「けいの部屋」

   33才そこそこで、臨月のお腹(妹)を抱えた時期に夫の右半身不随のアクシデントに見舞われ、6人の子供を

   抱えての介護生活。私が3歳の時です。

   代々の医者の家に生まれた恵まれた環境の「けい」でしたが、絶対に実家に頼らず、父を立ち直らせた

   その意地は、「子供達に親戚から引け目を感じさせない為」だったと後で聞きました。

   右半身不随を克服し、左手の練習で見事に職場に復帰した父の根性も凄いものがありました。

   父と母のそんな苦労を子供達は全然気付かずに育ち、他のみんなが貧乏だった時代も幸いし、後に生まれた(!)

   弟も含めた7人姉妹も、全員無事に育ちました。

   長男を医学博士にし、孫も二人、国立大学の助教授にしました。(医学博士と工学博士)

   勿論、全員奨学給付金を頂いてのことですが。

   (孫とは言っても残念ながらMEMEの息子ではありません・・・。)

   けい」のちょっとした自慢になってしまったことをお許しください。

    小さく小さくなって、ベッドの中でうとうとする枯れた母の姿を見ていると、7人の子供を愛して愛して、

    加齢現象の中でも、辻褄の合わない子供への心配や気配りの行為が目立った一頃の悲しい母性を思い、

      涙します。

母こそは 命の泉 

いとし子を   胸に抱きてほほえめり 

 若やかに 美しきかな 母の姿

 

    **********

■「MEMEのドレス」


   只今空っぽ状態のWebショップ。いつかは商品をUPしなくては。

* オーダードレスを縫っていると、制約無しの自分のオリジナルドレスが無性に作りたくなってしまう。

   日暮里問屋街を彷徨って、好きな生地を買うのが私の一番の楽しみ。

   生地を買う楽しみの為に洋裁をしているようなもの。

   だからどんどん生地が溜まり、押入れは満杯!でも、素敵な生地を見つけると又もや買ってしまう私。

* 実際にショップを開けてみたものの、オリジナルドレスを作る時間がなかなか取れなく、「ショップを開店

   するからにはドレスを数枚揃えてから公表しなくては」・・・と思い、数回出品しただけで、気持ちだけが

   先走った空っぽサイトのまま現在に至っている。(恥)

   ショップ用のドレス生地だけは押入れに唸っているのですが・・・。

* また、ドレスには「サイズ」という難問題がある。どんなに気に入ったドレスでもサイズが違ったらお求め

   いただけない。

   そこで試行錯誤、「プチオーダー」形式にして、荒く仕上げたドレスを展示して、お求め下さる方の

   サイズに合わせて完成してお渡しする・・・ということに。

   でも、肝心の新作ドレスがまだ追加できないでいるもどかしい状態。

   いつかは・・・という思いから閉鎖できずにいる現在、空っぽなサイトに毎日40~50人もの方が

   アクセスして下さって、申し訳なく思う昨今。

   その内に・・・その内に・・・、素敵なオリジナルドレスを再開したいと願っております!

   そのいち早い新作ドレスニュースをお届けする為に「小路通信」を発行し始めたのに・・・。

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■「MEMECard」・・MIDIつきのグリーティングカードの提供。


* 苦手なCGIを駆使しての「グリーティングカード」の発行。

   なにもこんな苦労してまで提供しなくても良いのに・・・と挫けそうになる自分を励ましながら立ち上げた

   サイト。

   現在、「花」・「わんこ」・「にゃんこ」・「天使」編の4つのCGIを立ち上げているが、カードの入れ替

   えなどに四苦八苦。メガネを掛け直して、肩に力を入れながら前のめりで頑張っています。

   そんな苦労も、時には凄いしっぺがえしを受けることも。

   詳細は後で・・・。

 

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8 HPを立ち上げて良かったこと

■ 私は家の中でごそごそしているのが好きなタイプで、つまり放っておくと座敷○○のような生活に陥ること必至。

   そんなデブ症(?)な私が唯一繋がっているのがWebでの交友の豊かさ。

   居ながらにして日本中の方、いや、世界中の方々と楽しい交流が出来るうれしさ!

   これで「老後」の寂しさは心配要らない…(主人より長生きする予定)

■ 母の絵が、遠くに住む私達姉妹の元に散りじりになっているのを一まとめに「けいの部屋」に集めて、母にいつでも見て

   貰えるようにしてあげたこと。

   埋もれた一生に少しでもピンライトを当てたことで、マスコミに紹介されたり、感じて下さる方々のお励ましのメールを

   読んで貰えたこと。お菓子の空き箱(玉手箱)に大事にメールのコピーをしまっていた母。

   今は加齢の床にいる母に、ほんの少しの「華やぎ」をプレゼント出来たこと。

   小さく小さくしぼんでしまった母。

   私達姉妹の顔も忘れてしまったけいの臥す病院の個室に掛かる「母子像」の絵。

   70才からの燃え立つような最後の情熱と誇り。

   そんな母のことを取り上げた「けいの部屋」で、ほんの少し親孝行が出来たかな…と。

 

9 インターネットの怖い部分

■ 私のサイトにお出で下さる方々は礼儀正しく良い方ばかりでしたが、「MEMEのベランダ」があるホームページコンテスト

   でグランプリを頂いたことで、ちょっと異質な方も私のサイトにいらっしゃるようになり、所謂「掲示板荒らし」

   に会ってしまいました。それは陰湿な嫌がらせでした。

   こういう「荒らし」は何処のサイトの管理人も経験なさるようで、掲示板の閉鎖に追い込まれる場合も見聞きします。

   どなたでも匿名のハンドルネームで出入り出来るので、無責任な放埓感を撒き散らして楽しんでいる人も居るようです。

   寂しくて誰かに関わって貰いたい輩のする事と、相手にしないのが一番の対処方法といいます。

■ このところ毎日100~150通は雪崩れ込んでくる「ウィルスメール」。

   私のような「素材」を扱うサイトは、不特定多数の方々が出入りなさるので、ウィルスメールも半端ではありません。

   メールのサーバーで処理してから送ってくれるので直接感染する心配は無いながら、それでも潜り抜けてくる新種も

   あるので、ノートンで受けています。二重のバリアで何とか乗り切っていますが、お互い気をつけましょう!

■ ウィルス対策として、「HTMLメール」は受け付けない事にしています。

   又、Outlookではないソフトでメールを受けて対策をしています。

 

10 ホームページの今昔と「素材屋」の思惑

■ 最近は常時接続の方が多くなり、接続速度も昔では考えられないくらいのスピードが出てきた昨今、ちまちまと

   「サイズ」に拘って配布していた「素材」に変化が求められるようになってきた。

   「FLASH」素材や、「背景固定素材」など、新しい素材形式がどんどん採用されるようになり、「素材屋」も今までの

   素材にうかうかアグラをかいていられない時代になってきた。

   ここ1~2年で「常時接続」の「文明開化」が始まり、華やかなホームページ時代が開花してきた感があります。

   ホームページ素材の方向が違ってきていることを実感する昨今、時代に沿ったより良い素材作りに励むことを課せられて

   いるようで、武者震いをするような刺激をうけている私です。

   まずの課題は、「FLASH」を完成させること。

   タイムラグ・・辺りで挫折しているFLASHの勉強をじっくり再開させようと決心しています。

    FLASHで「絵本」を作るのが夢。

 

11 その他

   

 

 

 

 

私自身もまだよちよち歩きの頃だったにも関わらず、ご依頼を受けて100名の方々の前で経験談をお話したのでした。  (恥)

 

それくらいまだ「HP」を運営することが珍しい事だったのです。

しかも、60歳のおばあさんが3つ(その時期は)も「素材の小路」「ドレスの小路」

「MEMEのベランダ」と立て続けに立ち上げたことで、興味を持ってくださったようでした。

 

今考えると「冷や汗もの」ですが、よくぞまぁ・・・と穴に入りたい心地です。

 

その会にお出でくださった神戸の皆様はその後もお元気でいらっしゃるでしょうか?

 

本当に懐かしくもうれしく、恥ずかしい経験をしたことでした。

 

その時の「会場に飾られた向日葵の花束」を見つけたのでここに貼ってみました。