私が第一子を産んだのは東京の日赤産院で、丁度「すずらんが咲き始めました・・・!」と北海道の日赤からスズランのプレゼントが届き、一人一人のベッドに配られた梅雨寒の5月。
3.230g の丸々と輝くような男の子!
むちむちした温もりを抱きしめた時、言いようもない幸せ感に包まれたものでした。
それから丁度3年目の5月、私は二人目の男の子を抱きしめていました。
3.320g・・・。
第二子が立派な体重を持って産まれてくれたことに、ほっと安堵する私がいました。
何故か・・・? その辺から書いておきましょうか・・・?
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5月、緑したたる季節に産まれた長男は、私たち夫婦が【早生まれ】で少し苦労したこともあり、選んでこの季節を決めたのでした。
そして、次男も・・・。
心躍らせて二人目のお腹のベビーちゃんの成長を楽しみにしていた私たちでしたが、6か月を過ぎたあたりから、何故か私の体調が徐々に変化するのに気付きました。
一番困ったのが、身体中に湿疹が出来て、かゆくて眠れない夜が続いた事。
そして、段々と「左手」の指・甲・手首・・・と、湿疹が広がり、これは何だろう!!
尋常ではない痒さと辛さで、思い切って近所の皮膚科を訪ねたのでした。
その時に先生がおっしゃった言葉・・・。
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こういうことは、第二子の妊娠中に起こる人がいるのです。
第一子を妊娠中に母体に【抗体】が出来てしまい、その抗体が「第二子」と戦っているのです。
お腹の赤ちゃんが産まれた瞬間からこの症状は嘘のように消えますから大丈夫です。
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と・・・。
そんな話は聞いた事が無かったし、ちゃんと理解もしないまま月日が流れていきました。
左手は、指が5本くっついてしまう位湿疹が酷くなり、指を一本一本包帯でグルグル巻き、肘のあたりまで皮膚が解けて無くなる程の赤身状態。
指紋も無くなり、分厚く肘まで白い包帯で巻かれた「ミイラ」のような惨めな姿。
身体中の湿疹も益々酷くなり、痒さで眠れぬ夜は、密かに氷をガーゼに包んだものを身体に這わせて何とか痒みが静まるのを待ちながら一晩中まんじりともせずに過ごす日々が続いたのでした。
痒さと寝不足から精神状態もだんだん朦朧としてきた頃、ただ頭に掠める救いの言葉が、「赤ちゃんが産まれた瞬間に全て嘘のように良くなるから心配要りません」とおっしゃった先生の呪文のようなセリフ・・・。
第一子で出来た「抗体」が、第二子に影響するなんて・・・!
うそでしょ???!! と、自分の中でも抵抗しながら日々が過ぎて行ったのです。
そんな地獄のような湿疹との闘いの中、お腹の子は順調に大きくなるのが分かりそれだけが救いだったその頃。
私は、人生でこれほど自虐したことがないような思いに捕らわれました。
「一日でも早く産まれてきて頂戴!!!」
そして、予定日の半月前、「3.320g」の立派に育った可愛い第二子が誕生したのでした!
予定日より半月も早い誕生だったにも拘わらず、第一子よりもしっかりと大きく育って産まれてきてくれた第二子に、感謝と、謝罪の気持ちが渦巻いたのでした!
そして・・・、そして・・・!
本当に【呪文】のような先生のお言葉通り、その瞬間から全身の湿疹が見事に解決したのでした・・・!
その後・・・。
そして、それが「Rhマイナス」の血液型を持った私の悲劇だったなんて全く知らないで過ごした30年余でした。
ただの「血液型 O型」だと思っていた私が、人類 0.5% しか存在しない「Rhマイナス」のO型の持ち主だったのを知ったのが、ある手術を控えた輸血用の為の血液型検査でのことだったのです。
それで、あの「謎の」湿疹の存在が浮かび上がったのでした。
「ミイラのように包帯グルグル巻き」の時、「第二子に抗体が悪戯をして母体に湿疹が出た」という説明と同時に、「Rhマイナス」の存在でそうなるのだという説明を一言下されば、私の自虐的な悩みは無かったのに・・・。
つまり私は、可愛い我が子であるにも拘わらず、早く産まれて頂戴・・・!と、自分の地獄から抜け出す願いの方を祈ったのです・・・。
無事に「3.320g」という立派に成長してくれた次男君に、謝罪と共に感謝しています。
この事実は、世界一子供を思う母と自負している私としては、この度初めて吐露した出来事でした!
二人の「おじさん化」した50代半ばの息子達。
いっときだけど、「自分を許せない」ような心理に陥った母を許してくださいね・・・!
二人とも、私の「ことども」は読んでいないので、この「悲劇」は内緒!内緒!にしておきましょう。
心から愛しているよ!! 二人の息子たちよ! (^O^)/
このことではっきりしたことは、我が息子二人は「Rh プラス」の普通の血液型の持ち主で産まれてきてくれたこと。
ありがとう! 本当にありがとう!
もう少し若い時に、この希少な血液型の事が分かっていたら、「声」欄に投稿なさった中学生の方のように、「献血」をすることも考えたのでしょうが、 気付いた時には御老体の身・・・。
今は、自分の身を危険に晒さないで生きることが最大の仕事。
(≧▽≦)