先日、私のPCサイドの右上の壁に、ず~~~~~~~~~っと12年間も飾っていた上の看板(新潟の個展会場入り口に立てていた)を思い切って取り除いた。
12年という年月で、すっかり色あせ、見る影もなくなっていたので、仕方なく・・。
その時、ふと、先日妹と電話した折に話題に出てきた懐かしい歌が頭に浮かんできた。
唐突に・・・。
【ニーナの死】
母が、よくお勝手でお料理をしながら口ずさんでいた歌・・・。
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二日すれども
ニーナは目覚めず
覚めて再び舞わずや・・・ニーナ
我が笛に 覚めずや
目覚めずや ニーナ
目覚めずや ニーナ
覚めて再び 舞わずや ニーナ
覚めなば如何に 嬉しからまし
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母が口ずさんでいた歌詞はこれだったけれど、
検索をしてもこの歌詞は見当たらなかった。
youtu.be【ニーナの死】で検索したら、Pavarotti の朗々たる歌がyoutubeで出てきた。
涙が出た・・・。
13年前に98歳で逝った母「けい」。
何処で覚えたものだったのだろう。
透き通るような声で、お台所で流しに向かい乍ら一人歌う若き母の姿が脳裏に甦ってきた。
母「けい」の生きた日々をもう一度辿りたくなってきた。
控えめで、表に出るのを不得意としていた母が、亡くなってからこのように
教材に使って頂けることになるなんて・・・。 ↓
生前、「私ごときの絵を人様にご覧頂くなんて恥ずかしくて・・・!」と、絶対に
個展を開くことを拒んできた母。
夫を亡くした70歳からの自分の想いを、【油絵】【短歌】に込めて晩年を色濃く生きた母「けい」。
そんな母が逝って一年経ち、「けい」と「MEME」の【母娘展】を開いた私。
母「70歳」よりも少し早い「58歳」からデッサンを始めた私・MEMEも、もう82歳になり、上達もしないまま今回の24回目の「デッサン展」を迎える。
今回で表向きの「デッサン活動」は終止符を打つ積り。
その代替として、PCで「ぺインター」のいろいろを楽しもうと思い立って試行錯誤しているところ。
今まで24年間、主に「裸婦デッサン」を描いてきたので、それをベースに裸婦デッサンに「着衣」を試み、好きな色とデザインのコスチュームを思いのまま描き足し、それをぺインターで作った「額」に入れて楽しもう・・・という試み。
楽しくて、退屈する暇がないのが困るくらい。
老後(どっぷり今!!)の手すさびには本当に持ってこい!!
体力が無くなり、「舞台ドレス」も手に余って終止符を打ってしまった私にとって、本当にベッドの生活になっても続けられそうな楽しみを見つけたことが嬉しい。
新【ドレスの小路】(クラシックコンサートを飾ったMEME手製の世界で一枚だけの舞台ドレス)
こんな「舞台ドレス」に夢中になって取り組んだ日々も、愛しい。
私の「三大楽しみ」の、「ドレス製作」は潰えたけれど、まだ「ぺインター遊び」と
「素材作り」が残っているし、これからは「電子書籍」をもっと増やしていこうと思っている。
(「電子書籍」=「Puboo」) ↓
【車中ウォッチング】、【よろずウォッチング】【たぬき鉄道物語】【我が家を駆け抜けた『ラ行』のおんなたち】【病室ウォッチング】などなど、書きかけのものが一杯あるので、それも何とかしたいし・・・。
素材作りもその内再開したい・・・。
ほらほら、最近は、よろけながら日々をやっとこ生きているMEMEさんよ。
まだまだやることは一杯残っているのですよ!
・・・と、今日は何だか自分に「はっぱ」を掛けたくなった日。
これらの全ては、自分亡き後は消え去るものとは知りながら、それまでの時間を楽しませて貰える大事な「宝もの」として続けて行きたいと思う。
母「けい」の生き方は、看護学校の「教材」として頂けることで光を頂戴したが、本当に有り難いことではあった。
「ニーナの死」からの連想で、脈絡もなくここまで書いてきたが、今夜も日を跨いでしまった。
眠れるだろうか・・・?