あの、暑い一日からもう69年が経つ。
その日の、何やらざわざわとした疎開先の人々の表情と態度に、何か重大なことが起こる予感に怯えた事をまざまざと思いだす。
毎年この日の事を書いてきたが、今年も少し書いておこう。
私達7人の兄妹の「年少の4人」を母が引き連れて、母の実家に疎開したのが終戦の3か月程前だったような気がする。
少しして、母の妹(叔母)一家も同じように3人の子供を連れて加わり、まるで合宿所のような様相を呈していた。
そんな私達に、いつも笑顔で接してくださった母の兄嫁さま・・・。
今思うと、どんなにかお大変だったことと感謝の気持ちでいっぱいになる。
そんなある日、その日はやってきた。
祖父・祖母をはじめ、従兄やお手伝いさん、病院の看護婦さん(実家が病院)などが広い部屋に集まり、何やらひそひそとさざめきながら、ラジオの重大発表とやらを息を呑んで待ち構えていたあの雰囲気を、今でも思い出す。
小さい子は、その異様な雰囲気に耐え切れず、かえってはしゃいで廊下で遊び始めたり・・・。
解放されていた廊下の柱に纏わりつきながら汗びっしょりで何かを感じていた私・・・7歳。
お昼12時に、雑音とともにラジオに音声が流れ出し、みんな、正座で頭を垂れて聴き入っていたが、これが世に言う「玉音放送」。
結局、誰も「正式な内容」が分からぬまま・・・、「終わったのかな・・?」という雰囲気が流れ、ほ〜っという安堵感が広がった気がした。
しかし、その後、ひそひそと別の雰囲気に進行していく気配を感じていた。
つまり、「女はみんな、髪を切って男のようにしないと危険だ」とか、「子供にも被害が及ぶと大変」とか、敗戦した国内の荒廃を憂うる話題に移っていた。
そんな話題を、暑い廊下の柱に纏わりつきながら、聞くとはなしに聞いていた私。
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あれから69年・・・。
今日の「朝日」の朝刊を見て驚いた!
一面に「終戦記念日」の記事が見出しにも出ていなかったこと!!
これはいったい、どうしたことだろう・・・。
永遠に記憶しておかなければならない「終戦記念日」の8月15日。
その日の一面記事に見出しさえ出ていない事の不思議・・・。
最近で一番驚いた出来事!
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