- 早朝に新潟の兄から電話が・・・「おばあちゃんが昨日からちょっと体調に乱れが出てきたので、念のために通知しておくよ」というもの。
血圧の下が、40位に迄下がったり、不整脈が出てきたり・・・ですって!
いよいよ来るべき時が来たのか・・・と、身体が震えた。
- 数えで100歳にもならんとする母「けい」は、でも、強かった。
心配した体調も今日は調子を取り戻した・・・と午後から連絡が入る。
しかし、ここまで来たら、細々と燃えている炎がふっと消える瞬間があるかもしれないので、そういう場合の心の準備もしておくように・・と。
- 思えば、母が入院生活を送るようになって、もう4年余。
長い間に、ちゃんと心を決めている自分が出来ていた。
- 昔、母がまだまだ若かった40代の頃でも、「もし母がいなくなったら・・・」と想像するだけで、枕を涙で濡らしていた私。
- 「私が壊れていく・・・!」と不安を訴え、95歳頃から不安定な心模様を見せ始めた母の姿に、「けいの部屋」のHPを立ち上げていた私は焦った!
「どなたか、母けいに励ましのメールを下さい!」とHPで訴えた私。
元気な頃、人生初めてスポットライトが当たった【けいの部屋】(マスコミにもご紹介いただいた)の「絵」や「短歌」へのご感想やお励ましのメールを頂戴し、それを転送したものを兄嫁がプリントしてくれ、それをまるで宝物のように箱に入れ、取り出しては読んでいた・・と聞いている。
- そんな宝物にも心が動かなくなった母・・・、あの頃が一番辛かった。
私が、母の作品の短歌や絵をindexに毎日更新して掲載し、それを新潟の兄嫁が母に見せてくれていたあの頃は、とても喜んで見てくれていたようだったが、それにも関心が無くなったと聞いて、「けいの部屋」の更新をする意欲をなくした私。
本当に悲しかった。
- あの頃のじりじり焼けるような焦燥感は今は無い。
穏やかに老いを受け止め、夢見人の幼い純粋な目をしだした時、私の心もうつせみの世界からふっと浄化されたような気がする。
- そんな母・・・「けい」。
頑張って生きてね! もう少しでいいから・・・。
- 近日中には会いに行こう!待っててね!
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- 昨日入院した家人を見舞いに行く。
元気だ。 ありがたい。
- 甘えん坊のルリちゃんが、お留守をさせられたり環境が変わったのをしっかりと受け止めて、一段と甘えん坊になってきた。
午前中は前からの約束だった「日暮里探検隊」のドレスの生地選びでお留守番。
午後からは家人の見舞いの為お留守番。
まぁまぁ、私が帰ったら、それはそれは大騒ぎ。
こんなおいたをし放題!!
で・・・、我が家の下駄箱の上はこの通り・・・。 (ーー;)